(あいだを飛ばして)名前で呼ぶための話 |
おれっちは、ひなたの家で暮らしている。 「翔陽、ごはんよー」 「兄ちゃーん!」 「ただいま、翔陽」 「あっもしもし翔ちゃん?」 「あら翔陽くん、こんにちは」 家で暮らしていれば、色々な声を聞く。家族やご近所、ひなたの友人、色々な声を聞く。 「なぁなぁひなた、しょーよーってなんにゃ? アダ名?」 夕飯が終わってひなたが机に向かっている頃、おれっちは床でごろんごろんと転がりながら、気になっていたことをひなたに尋ねてみた。最初に出会った時、ひなた! と名乗ってくれたはずなのに、ひなたと暮らして数日、ひなたの家族はみんな、ひなたと呼ばない。学校の友達はみんな、ひなたと呼ぶのに。 「ん? あれ、ジバニャン、俺、日向翔陽、だよ? 日向は苗字」 「にゃ?!」 衝撃。教科書とノートを広げていたひなたが、こっちを振り向いてそう言った。言ってなかったっけ、と付け足される。言ってない、言ってないにゃ! 「じゃあおれっちもしょーよーって呼ぶにゃ!!」 「いーよー」 ひなた改めしょーよーは、にこりと笑っておれっちに頷いた。友達はやっぱり名前呼びじゃなきゃだめにゃ! 嬉しくなったおれっちは、しょーよーが振り向いたことで出来た机としょーよーとの隙間めがけてジャンプする。難なくひざに飛び乗ったおれっちをひと撫でして、「友達だもんね」と笑うしょーよーがあったかい。…ん? 「…しょーよー、じゃあ、アイツが呼んでるのは何にゃ…?」 アイツ、おれっちを呼び出すアイツ、アイツはそういえば、ひなた、と呼んでいなかった。でも思い出しても、しょーよー、とも呼んでなかった気がするにゃ。 「あー…背番号」 「背番号?!」 なんでにゃ?! と、思わず言葉が荒くなる。背番号。背番号って! 確かにしょーよーもアイツも、部活でバレーボールをしているとは言っていた。アイツがバレーをしているところは見たことがないけれど、しょーよーがバレーをしているのはちらりと見たことがある。危ないから入ってきちゃだめだよ、とも言われたけれど。いやそんなことよりも! 「しょーよーはアイツと友達じゃないにゃん?!」 「エッ、うーん…友達っていうか…他校の先輩だし…」 「『友達』は『先輩』より強いにゃん!」 「つ、つよい…まぁ、そうかもしれないけど…」 「てか、しょーよー! そういえばアイツの名前は?!」 「えっ」 バッと顔を上げる。おれっちの言葉に、ビクリとしょーよーの手が止まる。じっと見つめたおれっちから、すい~と視線を逸らすように動かして、「ふた、くち…?」。 「にゃァ?!」 「ふ、二口さんだよ!」 おれっちの威嚇にしょーよーが焦って答える。でもそうじゃない、おれっちが聞いてるのはそういうことじゃないにゃ!! 「ダメにゃんダメにゃん! 超ダメにゃん!!! 名前も知らないようなヤツ、友達とは言えないニャン!」 「いやでも名前知らなくても仲よ」「みょーじ知ってる時点で通用しないにゃん!」 おれっちの怒涛の勢いに、しょーよーは言葉に詰まる。そのまま畳みかけるように言ってやった。 「おれっち、そんなならもう、アイツに呼び出されてやらないにゃん!!」 言ってやった!! 「えっそれは…なんか、ダメじゃない?」 「ダメじゃないにゃ! しょーよーがウォッチ持ってないからアイツにメダルやっただけにゃ!」 「えー…じゃ、じゃあ取り敢えず名前! 名前、今から聞くから!」 おれっちの勢いに気圧されたしょーよーが、良いことを思いついた、とでも言うようにぱたぱたと携帯電話を探す。最終的にベッドの方に放ってあるのを見つけたので、膝から下りたおれっちと一緒に、携帯電話を取ってベッドに乗り上げる。壁にもたれるようにして座り込んで、ぽちぽちと操作した。良かった取り敢えず連絡先は知ってるにゃんね…。 「ハイ」 「あっ二口さん! 日向です!」 「だろーな。どーした?」 呼び出し数回、ムカつくほどの落ち着いた声で電話の向こう、アイツが出た。おれっちにも聞こえるように設定してもらったせいで、ふてぶてしい感じがよく判る。しょーよーは、少しだけ緊張したような声で、「あの」と話を切り出した。 「えっとですね、ジバニャンに言われて気付いたんですけど」 「おー」 「二口さんって、名前、なんていうんですか?」 「あ?」 少しだけ声が低まった気がする。いやいやいやいや、オマエが悪いからにゃ?! 「『あ?』じゃないにゃ! オマエ、しょーよーのこと、背番号で呼んでるとか信じらんないにゃ!」 「…ジバニャンか」 「おれっちは、しょーよーがオマエと友達だから、オマエにも呼び出されてやってるにゃん! それが名前も知らないとか意味わかんないにゃ!」 まくしたてると、微かに向こう側で舌打ちしたような音が聞こえてきた。気がする。上等だ今すぐ呼び出せひゃくれつにくきゅうをお見舞いしてやるにゃ! 「別に、高校生にもなって名前呼びなんて、そうそうしないだろ」 「幾つになったって友達は友達にゃ! そんで少なくとも友達は、あだ名でもなんでもない背番号なんかでは呼ばないにゃ!」 「あーあー判ったよ判った、百歩譲って日向な日向。ハイハイ日向」 おれっちの勢いに面倒くさそうにアイツが対応してくる。そりゃあアイツの言葉だって一理あるのは判ってるけど、アイツにちょっと遠慮してるしょーよーを見てるのも嫌にゃ。妖怪不祥事案件は結構、普通に起こっている。しょーよーが気付いてないだけで、おれっちには妖怪が判る。本当にやばい時はしょーよーに知らせるし、もっとヤバければアイツを呼べって言うつもりだけれど、こんなんじゃそれもままならない! 「てっめー…! もっと友達、大事にするにゃ! もう絶対に呼び出されてやらないにゃん!!」 頭に血が上ったおれっちは、しょーよーの持つ電話に低く唸って威嚇する。アイツはアイツで「あっそ」なんて軽く言いやがってほんと、ほんとムカつく! お前は、お前らは、まだ妖怪がなんなのか判ってないにゃ。世の中にはおれっちやウィスパーなんかとは比べものにならないくらいヤバいのだっていること、判ってないにゃ! 「ふっ、二口さん! あの、お、俺だけでもちゃんと呼ぶんで! な、名前、教えて下さい!」 「あ?」 ふしゅうと毛を逆立てて威嚇しているおれっちを目の当たりにして、しょーよーには怒りが伝わったのかもしれない。慌てたように電話に向かって、がばりと頭を下げて叫んだ。ああしょーよーが頼むなんて、なんか間違ってるにゃ! 「…はぁ。堅治だよ、二口堅治」 「けんじ」 小さく息を吐いて、観念したようにアイツが言った。覚えるように繰り返すしょーよーに、そ、と軽く頷く。 「ま、出来れば呼び捨ては勘弁してほしいんだけどな、翔陽クン?」 「あっ! 堅治、さん?」 「おー」 お前に突然呼び捨てされてたら俺たぶん殺されちゃう、とアイツが笑う。その声を聞きながら、しょーよーは再び、「堅治さん、ですね」なんて確かめるように呟いている。…なんか、ちょっと、なんか。 「これはこれでむかつくにゃん」 「おいジバ、てめー聞こえてっからな」 アイツの声が低まって、あーやっぱなんかムカつく。おれっちはぜってー呼んでやらねぇと心に決めながら、「これで友達、っスね」と笑うしょーよーに免じて許してやることにした! ****** 「で? まぁるく収まったんでぃすか?」 「るせー。もう、しゃーねぇだろ」 10番改め翔陽からの電話を切って、ばすんとベッドに転がった俺に、ウィスパーがふよふよと寄ってくる。俺を見下ろすように覗きながら、「そう言うわりにあーた、諦め悪かったでぃすけど~」と訳知り顔で言うのが苛立たされる。転がったままの俺の頭の方に寄ってきて、座って…は、いないのだろうけれど、枕の辺りで身体を固定…したんだろうか、これどうやってるんだろう、留まっている。 「まぁジバニャンは翔陽くんから離れる気はないみたいでぃすし、しょーがないんじゃないでぃすか」 「アイツなー…」 俺はスマートフォンを放って、代わりに若干カスタムした妖怪ウォッチを手に取る。俺が使い易いように、チェーンを取り付けてベルトなんかに装着できるようにした。そうせざるを得なかった。最初は、言うても「妖怪が見える」「妖怪が呼び出せる」なんてあまり重く捉えていなかった。最初に出会ったウィスパーが軽いわチャラいわ妖怪パッドなんてアイテムを使っているわで、随分と現代的だったのもある。次に出会ったジバニャンも、トラックに立ち向かうとか素っ頓狂なことを言ってやって負けてるし、地縛霊だとかいうわりにひょいひょいと翔陽についてきて、ぎゃーぎゃーと俺に意見するようなヤツだった。部屋の蛍光灯にかざした妖怪ウォッチが光を反射する。逆光で盤面というか、メダルを入れる部分が暗くなる。 「そーいうの、良くないでぃすからね」 「わーってるよ」 しかし、だがしかし、妖怪ウォッチを手にしてから、確かに世の中には妖怪があふれているのだ、と、俺は実感してしまった。今まで気付かなかった路地裏や、街灯と街灯の間のどうしても光が届かない場所、果ては雑多にごみを詰め込まれたコンビニのごみ箱の隙間、ぐっと何か得体の知れない引力を感じることがある。少しでもじっと見つめてしまうと決まってウィスパーが声を掛けてきて、俺はこちら側に頭が戻される。ウィスパー曰く、まだ妖怪ウォッチを持って――つまり妖怪が見えるようになって日が浅いから「何かが見える」という違和を感じ過ぎてしまうのだそうだ。そういうものは別に日常的なやつで、妖怪ウォッチの無かった今までだって変わらずあった。俺が知らなかった、気付いていなかっただけのことで。 「翔陽くんが心配なのはわかりますけどね。わたくしは、あーたの方がよっぽど心配でぃすよ」 「おー」 言葉のわりには危機感の無い声でウィスパーは言う。今のところ、俺自身に降りかかるいわゆる妖怪不祥事案件は、まぁ面倒臭いけど日常のスパイスが増えたくらいのものだけれど、たまの薄ら暗さを経験してしまっているせいか、アイツが「妖怪に関わられている」ということに少し慎重になってしまう。本当に、本当に最悪の場合だが、俺の知らないところで妖怪のアレソレに巻き込まれて何かあったら、なんて思ってしまう。他校の後輩で特筆するほどの関わりも無かったとはいえ、そんなことはさせたくない。 「ジバニャン、なんで俺じゃダメなんだろーな」 「そりゃあーた、翔陽くんの方が身長的にも中身的にも断ッ然、可愛げがあるじゃないでぃすか」 「ハイハイ、可愛くなくてサーーーセン」 ウィスパーの調子に、はぁ…と溜息を吐いて肩を竦める。もう駄目だ。考え込んでも仕方ない。そもそもの発端が、もう、どうしようもないことから始まっているんだから、そりゃ起こること全部、もう、どうしようもないよな。 「風呂、入ろ」 「ま、それが良いでぃすよ~」 妖怪ウォッチも放って、反動を付けてベッドから起き上がる。器用に俺を避けたウィスパーが、いつも通りの軽い調子で同意してきた。それからくるんと回りながら、「翔陽くんのピンチには、あーたが颯爽と駆けつけてあげたら良いんでぃすよ~」なんてウインクしてきやがった。軽々しく言いやがって。人間の移動は大変なんだっつの。 「ついてくんなよ、えっち」 「てめっ…! わたくしにそーゆー趣味はアリマセンー!」 後ろからぎゃんぎゃんと掛けられる声に笑いながら、俺は風呂に入るため、自分の部屋を後にした。 |