月島と山口
昼休み、僕は社員食堂で本日のランチAを食べていた。メインは白身魚、副菜に肉じゃがやおひたしなどの並ぶ和定食だ。彩りも綺麗だし、きっと栄養もばっちりなのだろう。味だって、もちろん美味しい。普段は外回りも多いから、安くて美味しい社食は堪能できる時に堪能しておくに限る。そんなことを思いながら味噌汁をひとくち飲んだところで。
「ツッキー、事件です」
がたんと向かいに座る影、山口忠。
「へぇ、そう。がんばってね、名探偵山口」
山口が座ること自体は、別にどうということもない。今日のお昼は社内だと伝えていたから、僕が社員食堂に行くことなんてお見通しだろう。そうなれば、おそらくやってくるだろうことも想像に難くない。ただまぁ、先の台詞は想像していなかったけど。
「ツッキー、冷たい! 俺の事件じゃないんだよ! ツッキーの事件だよ!」
「じゃあ聞くけど、仮に僕の事件ならなんで当事者の僕が知らなくてお前が知ってるっていうの」
山口が持ってきたのは、本日のランチBだった。Aとは反対にいつも洋風のB、今日のメインはハンバーグらしい。美味しそうだ。山口は僕の言葉に、セットのコーンスープを一口すくって飲んでから「いやあのね」と切り出した。
「事件は現場で起こってるから、ツッキーは知らなくても無理はないんだよ!」
「ああそう、現場で起こってるなら現場で解決してきてよ」
最近、再放送でもしていただろうか。そんなことをぼんやり考えながら肉じゃがのじゃがに箸を入れた。ほろりと崩れて湯気を立てるじゃがいも。それを口に入れて、思わずはふ、と湯気を逃す。美味しい。
「いやツッキー、あのね、いつものケーキ屋さんあるじゃん」
どうやら前説は終わったらしい。僕の相槌がおざなりなのもあってか、山口はおそらく本題を話し出した。僕はそのままランチA、今度はおひたしを口に運ぶ。しかし僕が口を挟まない、つまりちゃんと聴いている、と判断したのだろう、山口は話を続ける。
「黒尾さんが昨日、行ったらしいんだけど、そんで、名前きいてきたっていうんだよ!」
「名前? 日向さんの?」
「そう! ひ、……え?」
しまった。しまった失言だった。
「…ちょっと、待って、ツッキー」
カツン、と音を立てて山口がハンバーグにフォークを突き刺す。社食の喧騒が功を奏して、周囲には響かなかったらしい良かった。いや待って目が座ってる全然良くないかもしれない。突き刺したフォークをぐっと握って、ちょっとなに意気込んでるの、山口は探るように強い視線で、僕を見上げてきた。
「ツッキー、日向くんの名前、もう知ってたってこと?」
「…別に、話のついでで知っただけ」
「『ついで』があるような話をしたの?! ツッキーが?!」
しまった。またしても失言だった。今度は握ったフォークを手放しそうになりながら、山口がぎょっと目を見開く。今日の僕は、らしくない。ああ「らしくない」のは、山口もかもしれない。がたりと立ち上がる勢いで言う。
「その話、詳しく!」
月島と日向と名前
 久々の来店だった。長めの出張が在ったり、会社に居てもこちら方面に来る用事が無かったり、どうにもタイミングが合わなくて、ここのところずっと他の店でお菓子を調達していた。
「いらっしゃいませ」
入って響くカウベル、出迎えてくれたのは女性の店員だった。そうか、今日はあのひとはいないのか。まぁ別に、僕は彼が目当てなわけではなくて、ここのお菓子が好きだから通っているわけだし。頭に流れるモノローグがどうにも言い訳がましい気もするけど、とにかくお菓子を選ぼう。今日はもうこのまま帰るだけだから、ケーキも買っていける。とりあえずは焼き菓子、あ、新しい味が出て「道宮さん、ありがとー!」る! びくりと反応してしまった自分を認めざるを得ない。戻りましたぁ! なんて語尾が少し伸びたはつらつとした声、彼が、厨房などがあるスペースの方へ通じる扉から入ってきた。女性店員と二言三言くらい会話して、ああ休憩を交代するのだろう、いってらっしゃいと送り出している。先ほど彼が入ってきた扉、裏側へと続く扉を開いて女性店員は出ていった。声がしたから、なんとなく眺めただけだ。確認していたわけじゃない。わけもなく焦ったような気持ちになって視線を逸らせようとしたところで、「あ、月島さんじゃないですか!」、認識、された。
「…どうも」
「わぁ、おひさしぶりじゃないです?! お仕事、大変そうですもんねぇ!」
にこにこと笑って、ゆっくり見ていってくださいね、と付け足してくれる。久し振りを追及しない辺りとか、仕事がどうだと深追いしない辺りとか、端々にやっぱり好感が持てる。それから彼はもう僕を構うわけでもなく、パッキングだろうか、何やら作業を始めたので、僕の方もゆっくりと菓子を見ることができた。新作の焼き菓子はもちろん、いつも買っているものなど、幾つかピックアップして備え付けの小さな籐籠に放り込み、ケーキ選びに移る。ケーキのショーケースの前に立つと、彼は気付いたように顔を上げた。やはりこちらも新作があるし、消えたものもある。最後にこの店に来れたのは先月だったな、と思い出す。
「月島さんにはバレてるかもしれないですけど」
「え?」
「これと、そっちのが新しいです」
「あぁ…」
へへ、と小さくはにかむようにして、彼が教えてくれる。彼が指差して名前を挙げたのは、確かに見たことがないものだ。別段、僕の苦手なものを使っている風でもないし、とりあえずその二つは購入決定だ。あとはやっぱりショートケーキは外せない。この店は二種類置いているから、二種類とも。久々だし、食べるのが楽しみだ。そしてあともうひとつ、先月から買いそびれていたプリンの新しい味も試したい。が、ケーキ四つにプリン一つは、一気に食べるのはもったいない気もする。山口を呼ぶか。いやそれも「どれが気になるんですか?」。
「えっ」
「すごく、悩んでるみたいだったので」
…顔に出てたのか。嘘だ。出てたのか。途端にちょっと恥ずかしくなる。難しい顔でした、といたずらっぽく笑われる。買おう。我ながら単純だとも思うけれど、いやだって美味しそうなのだから仕方が無い。そう仕方が無い。ひとつ軽く咳ばらいをして、「あの」とオーダーを告げた。
 「では、315円のお返しです」
渡された釣銭を財布にしまう。その間に、ケーキと焼き菓子の入った紙の手提げ袋を渡そうと、カウンターの中から彼が出てきてくれた。僕が財布をかばんにしまうタイミングを見計らって、彼はその胸の辺りまで袋を引き上げる。引き上げて…え? 袋の持ち手部分を両手に分けて開いて見せた。そして言う。
「これ、オレンジの包みのやつ、おすそわけのクッキーです」
「へっ、おすそわけ?」
「はい。常連のお客様に味見してほしくて。俺が作ったやつなんです」
「えっ?!」
「あっ、スガさんに許可は貰ってるので! 安全性はもちろん、味も一応ダイジョブだとは思うんですけど!」
「あ、いや」
そういうわけでは。僕が思わず素っ頓狂な声を出してしまったせいだろう、目に見えて彼は慌てたように早口で告げた。違う、僕が驚いたのはそこじゃない、ってかそこだけど、いや、いや、えっと「あの…あなたも、パティシエだったんですね」、そう、正直、専門学校生のアルバイトかと、思っていたんだけれど!
「パティシエ、っていうか、その見習いですね。日向翔陽です」
「え、あ、見習い、そう、ひなた、さん、なの」
突然の個人情報に動揺する。だめだ、もっとスマートにいきたかったんだけど! パティシエ見習い? ひなたしょうよう? 目の前では、ハイと頷いて、彼、ひなたさん、が、「なんか『あなた』とかくすぐったくて」と困ったように顔を崩している。呼ばれ慣れないのだろうか。いやそれよりも、あぁ、え?
「あ、いらっしゃいませー」
カランとベルが鳴って、また別のお客さんが入ってきた。僕は少しだけ落ち着きを取り戻す。そうだ、とりあえず、お礼を。
「えっと、ひなたさん、ありがとうございます」
「あっ、いいえー。良かったら、味の感想、聞かせてくださいね」
僕の言葉にパッと笑顔を見せて、ひなたさんは小首を傾げるようにして、持っていた紙袋を渡してくれた。僕は無言で頷いて、紙袋を受け取る。受け取って、くるりと背を向ける。会計、挨拶の終了を見て取ったのだろう、日向さんはもう一度「ありがとうございましたぁ!」と元気な声で言ってくれて、それを背中に僕は店を出た。いや飛び出なかっただけ褒めてほしいとか思ってしまうくらいには動揺している。認識されていた。名前を覚えられていた。彼のポジションを把握した。彼の名前を、ゲットした!
「…良し」
いや別に僕はあくまであの店のお菓子が好きだというのが第一義なのだけれど。だけれども。店から完全に見えなくなっただろう角で小さくガッツポーズしてしまったのは、ああどうか許されたい。四つのケーキと、一つのプリン、オレンジ色のクッキー。今日の夕飯は、決まりだ。