天童と日向のセカンドコンタクト
カラン、と、ドアに付けられているカウベルが鳴った。振り返った日向の「いらっしゃいませ!」の「い」よりも早く、入ってきた人物が「こんにちは、しょーよークン!」。弾んだ足取りと軽やかな声で、話しかけてきた。
「あっ、こないだの!」
「そ。天童さんですヨー」
にこにこと貼り付いた笑顔を剥がさないまま、天童がカウンターに寄ってくる。格好はスーツではあるけれどかばんなどは無く、ずいぶんと身軽な装いだ。もしかしたら、遅い昼休憩なのかもしれない。天童本人も特に急いでいる様子は見せず「今日はねぇ」と話を始める…のと同時に、「あれそういえば」、日向が口を開いた。
「今日は、こないだの、えーっと…ワカトシさん? 一緒じゃないんですね」
「エッうん若利くんはオシゴトだけど、いやちょっと待って、なんでキミ若利くんの名前は覚えてて俺のことは覚えてないの?」
一息だ。日向の店員として世間話を始めようとする一言に対して、パッと驚いた顔を見せた天童が、勢いよく詰め寄ってきた。カウンター、ショーケースを挟んでいるのに、圧倒されて日向は一歩下がりそうになる。下がりそうになるが、「へっ、エ、いや」、じりと半歩に留めて、おそるおそる窺うように返答した。
「あの、こないだ、そう呼んでませんでした、っけ…?」
「呼んでたケド」
ぶすくれて渋い表情のまま天童が頷く。しかしその言質を得て今度は日向の顔が、「でしょ!」、思わず明るくなった。そして
「てか天童さんのこと覚えてましたよ、俺!」
うっかり付け足した言葉に、「いややっぱ待って!」とカウンターを叩きそうな勢いで天童の圧がぐんと増した。
「なんで俺は『天童さん』なの!」
「いや、は、えっ、天童さんですよね?!」
「天童さんだよ! 違うよそうじゃないよ!」
「いや1ミリも伝わってこないんですけど?!」
勢い良くそこまで応酬して、「はぁ?! いや、はぁ、あぁ、ウン、そーね」、仕切り直すように肩を落として胸を平らに、肺から全てを絞り出すかのごとく天童が息を吐き出した。強制的に取った空白に落ち着いたのか、少しだけ決まり悪そうな、照れ隠しでもしているような顔に表情を変えて、「名前の話ダヨ」と仕切り直す。
「名前の話?」
「そ。俺はね、天童覚。つまり覚くんね。俺のこと天童さんっつったのに、若利くん名前で呼ぶからびっくりだなぁって」
「あ、あぁ! そーいう!」
種明かしとばかりに告げる天童に、合点がいった日向が頻りに頷いて見せた。なるほど、言われたら確かにそうかもしれない。だが日向としては、
「あー、俺、こないだ『ワカトシ』って呼ばれてるのしか覚えてなかったから…『ワカトシ』なんとかさん、じゃないんですね」
「…ナルホド」
他意無く、そういう理解だったのだ。ワカトシなんて変わった苗字だな、と思ったことも手伝って、覚えていた。いま思い返せばテンドウも充分変わった名前だという気もするが、天童に関してはもっぱら会話していたこともあり、キャラの方が強烈だったのだ。日向の中でそんな強烈な天童だったが、今はもうぐぐぐとカウンターに詰め寄る勢いだった圧は削がれ、拍子抜けした緩い表情で一歩二歩下がっていた。ようやく日向も詰めていた息を吐き出せた気がする。「『なんちゃらワカトシ』さんですね、覚えました」と軽い調子で笑ってみせられた。
「あーあ、嫉妬したのカッコ悪かったネ」
「しっと」
「そ。若利くんだけ名前呼びずるいなーって」
「しっと」
「繰り返さないでよ!」
俺が子供っぽいみたいデショー、と、天童もすっかりほどけた顔で笑った。それから「てか俺、一応これでも、お菓子買いに来たんだから! しょーよークンとしゃべる気も満々だったケド」と改めて焼き菓子の置いてある辺りへと足を向ける。他の客はいなかったとはいえ、期せずしてずいぶんとカウンターで話し込んでしまった。なんにしよー、なんて呟きながらひとつ手に取ったところで「こないだの」、カウンターを後にした日向がぴょこりと横から顔を出してきた。
「マドレーヌ、オレンジとチョコ、おいしかったですか?」
「えっ」
「さとるさん、こないだ買ったのそれとそれじゃなかったですっけ」
言って日向はひょいひょいとふたつ指をさす。驚くのは天童の方だ。確かにそれを購入した。本当に、覚えていたのか。その実感だけで、口の中が甘くなる。そしてにやりと笑って「…惜しいネ」、告げればお菓子を見定めていた日向は音がしそうなほど勢い良く見上げてきた。
「えっ違いました?!」
「正解は、さとる、じゃなくて、さとり、だよ」
「あ、そっち?! え、いやスイマセン!」
「お菓子は合ってるよん」
「良かったぁ。あ、いえ、もっと失礼だから良くないんですけど!」
忙しい子だなぁと天童は思わず噴き出してしまう。この流れで、ついでに教えてしまおうと口角が上がった。
「それじゃあリピートアフタミー、さーとーり!」
その言葉に、一瞬だけきょとんとした日向は、ふは、と、強張りを息に混ぜて吐き出す。それから、「さーとーり!」、口調を真似て笑った。
「ふふ、『さとりさん』、覚えました!」
見上げて日向は言う。「ヨロシイ」と応えた天童の必要以上に鷹揚な頷きに、「ありがとうございます、覚さん!」なんてわざわざ名前を呼んでみせた。
「で、しょーよーくん、何がオススメ? ちなみに若利くんの出張のおやつにするから、日持ちするやつが良いな」
天童は言いながら、改めて焼き菓子のコーナーに向き直る。あとでケーキのオススメも教えてね、と付け足して、とりあえず目前のクッキーを手に取った。その仕草に日向は「あ、そーなんですね。持ち歩くならクッキーは割れちゃうかなぁ」、考えるように首を傾げる。
「いっそバッキバキにしてから渡す?」
「ウチの品位が問われるんでやめてクダサイ」
「だいじょぶだいじょぶ、『腹いせに割っちゃった!』とでも言えば受け取ってくれるヨ!」
「逆に不安になるんですけどそれ?!」
日向のぎょっとしたツッコミに、冗談だか本気だか判断のつかない天童の笑い声が被った。他の客がいない店内で、賑やかな会話はまだまだ続く。