二口くん、誕生日おめでとう。三年目 |
「二口、おめでとー!」 「おめでとうございます!」 口々に言われるそれがくすぐったくて、ざわつく喧騒が心地良い。すっかり常連に数えられるようになったイタリアンの店の一角で、見知った顔が集まっていた。その筆頭は、日向くんだ。今はこの店舗の店長のところへ行って、飲み物の追加オーダーをしている。立食に近い形になっていて、貸し切りではないけれど、周りは顔見知りで埋まっていた。寄せられたテーブルの上に、パスタやピザ、名前は判らないけど美味しそうな、店の自慢料理が並ぶ。乾杯の音頭の後に、各々が好きなものを取り分け始めていた。 「改めて、おめでと。久しぶりだな」 「茂庭さん」 すっと隣に並んだのは、高校時代の先輩、茂庭さんだった。日向くんと直接の面識は無いが、黄金経由で呼んだらしい。今日のメンバーは、そんな感じばっかだ。今日の、俺の誕生日会、の、メンバー。 「それにしてもお前、イイコに出会ったなぁ」 「…日向くんスか」 「そう。こんなことしてくれる子、そうそういねーぞ?」 「うス」 茂庭さんがジョッキを傾けながら言う。今日のこれは、日向くんが企画してくれたのだ。平日の夜にも関わらず、結構な人数が集まってくれている。最初に「あっそーだ! 今年は『お誕生日会』しましょーよ!」と言われた時は、「なんて?!」と訊き返してしまったが、いやいやこれはたしかに、まごうことなく「お誕生日会」だなぁと思う。足りないのはアレだ、紙で作るわっかのやつ、アレくらい。 「…ま、おまえにしては珍しく、素直に好いてるみたいだから心配はしてないけどな」 「ぅえっ?! すっ、や、なんスか?!」 茂庭さんの言葉に、思わずむせ返りそうになる。飲んでたヤツが変なトコに入った! 咳き込んで動揺する俺に、茂庭さんはからからと笑って「おまえもまだまだ、かわいーとこあるなぁ」なんて機嫌良さそうに言っている。いやあの、あのですね?! このひと、もう酔ってんのか?! 俺をからかって楽しそうに笑う茂庭さんに気付いたらしい鎌先さんたちも、ピザを片手になんだなんだと寄ってこようとする。ああまるで同窓会だ。そんな様子をちらりと見やって、飲み物をオーダーし終わった日向くんが遠くカウンターの辺りでふふっと笑っていた。えぇちょっと笑いごとじゃ「ふったくっちさーん! おめでとーございます!」な?! 「あっぶねぇだろ!」 飛びつくようにぶつかってきたのは、大型犬・黄金だ。持っていたジョッキの中身がとぷんと揺れて、泡が弾ける。こいつ、と思うのも束の間、本当に嬉しそうな顔で話しかけてくるものだから、毒気が抜かれてしまう。 「ねぇこれ! 食べました?!」 「なに、どれ? っておまえそれ、デザートじゃねぇの?!」 「冷えてる時の方が美味しいかと思って! なんかちょっと苦いけど、オトナの味って感じで美味いっす!」 黄金が持っていた皿には、一緒にテーブルに並んでいた、ええと、あれ、ティラミスがのっていた。この店の人気デザートみたいですよ、と、前に日向くんが言っていたから、名前を覚えた。デザートっぽいのはこれとジェラートだけで、日向くんはいつも両方食べている。じゃなくて。 「黄金川くん! フォーク振り回したら危ないよ!」 「あっ作並! 間に合ったね!」 横合いから声を掛けてきたのは、黄金と同じく後輩の作並だ。呼んでいたのか、と思ったら、作並は日向くんの方に向いて軽く手を挙げている。えっ。日向くんも日向くんで、手を振り返して。えっ?! 「…日向くんと、知り合いだっけ?」 「あぁはい。こないだ、黄金川くんがこの話をしてくれた時に、一緒に会わせてくれて。ってそれより! 二口先輩、誕生日おめでとうございます!」 「エッあ、うん、ありがとう」 にこ、と笑って言ってくれる作並に他意は無い。全然無い。なんなら、片手にティラミス片手にジョッキという危なっかしい黄金に、距離を促してくれるあたり、マジで良いやつでしかない。んだけど。 「…日向くんってのは、本当にイイコみたいだなぁ、二口」 「…うス」 見守るように眉を下げていた茂庭さんが、しみじみ呟く。いや、はい、ええ、そうなんですよ。力無く告げて、まぁそんなこと、知り合った時から解っているのだ。そう。 「おー二口、おめでとさん! 呑めよぉ!」 「テンション上げるの早くないスか?」 ジョッキを掲げて合わせようとする鎌先さんたちに、俺は同じくジョッキをぶつけた。カチンと響く小気味良い音、大人の「お誕生日会」の音だった。 ――そして。もうみんなだいぶ酔ってしまって、「え~宴もたけなわではございますがぁ」なんて鎌先さんが妙にコミカルに言って、俺の誕生日会は御開きになった。俺も例に漏れず酔っている、が、いやいやこれはほろ酔いだ。ほろ酔い。呑んだグラスの倍は確実に勧められたものの、なんとかほろ酔いでとどめている。だって。 「二口さん、今日、ちゃんと楽しめました?」 「あぁ、日向くん」 他のひとたちを見送って、最後に残った日向くんが「主役が残ってて良いんスか」なんて笑いながら寄ってきた。隣に並ぶその距離が、アルコールのせいかいつもより少しだけ近い。 「めちゃめちゃ楽しんだよ。ありがとうな」 「ほんとですか? 良かった」 身長差もあって、自然と見下ろす形になる。他のメンバーは、もう帰った。最後まで上機嫌にもっと遊びたいと騒いでいた黄金を、茂庭さんが「明日は出勤だろ!」と宥めていたのを思い出す。明日、平日が休みなのは俺、と、日向くんだけ。なのだ。終電まで、まだ時間は、ある。 「…あの」「あのさ」 被った声に思わず顔を見合わせた。一秒、二秒、噴き出した日向くんが「なんスか」と笑う。店の前から移動して、少し脇に避けた自転車置き場の近く。家からさほど遠くないこの店、俺も日向くんも、徒歩で来ていた。店舗の入口が開いて、会計を済ませたらしい別のグループが「あー二軒目はー?!」「オメー呑みすぎー!」なんて騒ぎながら通り過ぎていく。それをなんとなく視線で追って、向けられた気配に気付く。 「…二口さん、二軒目は? まぁ、おれんち、ですけど」 「っ!」 体温が、わずかに上がった気がした。ちらと上目遣いにうかがうような仕草、無意識でやっているんだから驚くしかない。俺のツボつくの、上手いよねほんと。 「…なんか、買ってく?」 「どうぞ!」 「おじゃましまーす」 下心は奥底に閉じ込めて、それでも、期待していなかったと言ったら嘘になる。まぁ、なんの期待かと問われたら、ちょっと答えが見つからないんだけど。 「それ、そっち置いてください」 「おー」 言われたとおり、コンビニで購入したチューハイを部屋の中のローテーブルに置く。買ったのはそれぞれ一本ずつ程度で、あとはお菓子の新しい味とか、オマケ付きのペットボトルとか。俺んちに来ることの方が多くて、日向くんの家に遊びに来た回数は片手で数えるくらいだ。それでも、いつ来ても綺麗だなぁという印象がある。普段もお菓子を作っているのだろうキッチンも、「あの」、ん? なんとなく見回すようにしてキッチンに視線をやったら、日向くんに、手招きをされた。なんだろ、手を洗えとかそういう? 一人暮らしの部屋だ、数歩も無くキッチンに足を踏み入れ、て、え。 「本当は、作ろうかどうしようか、迷ったんですけど。…でもやっぱ、俺のケーキでもちゃんと、お祝いしたいなって、思って」 言って落とされた日向くんの視線の先には、デコレーションされたカップケーキ、たぶんマフィンってやつ、が大皿の上に並んでいた。一目見ただけで、俺でも判る、全部、味が違っている。クリームと苺がのっているのはプレーンかもしれない。ただのプレーンっぽいのと色が一緒だ。あからさまに違う黒っぽいのはチョコだろう。色はプレーンと一緒でチョコの欠片が入ってるのもあるし、バナナっぽいのが見えるやつもある。っていうか、いやうそ、ひとつひとつは手で握れそうな小さめサイズだけど、これ、何個あるの?! 「お誕生日会にしたし、あそこの店長も用意してくれるって言ってたから、ホールはちょっと重いかなって思って。だから、日持ちもするしパクっといけそうかなって、その、こういう感じにしたんですけど」 日向くんは視線を彷徨わせながら口早に続けていた。なんでそんな自信なさそうなの。っていうか、俺は工程とかはよく判んないけど、種類を作るのだって大変なんじゃないの。っていうか、っていうか! 「嘘でしょ日向くん…! めちゃめちゃうれしいよ…!」 正直、こっそり、今年は無いんだなぁとか、いや高望みすんなよ自分とか、思ってた。俺の震えそうになる言葉に、日向くんが弾かれたようにようやく顔を上げて、いやごめんこんな緩い顔ちょっと見られたくないレベルですけ、いや、ちょ、「良かったぁ…」、これ抱きしめちゃだめなやつ?! 「ぅえっ!」 もうなんか何も判断できない衝動のまま、日向くんを、抱きしめてしまった。いやたぶんこれはあの、日本人の、友人同士の、距離感ではないのではと、俺の中の冷静などこかが言うんだけど、だって、だってこんなの。ぎゅうっと力を込めて、それから、どんな顔して良いか判らなくなって、俺の口から言葉が飛び出る。 「…感、極まったので」 いや、ナニソレ俺。 「…感、極まりましたか」 ナニソレ、日向くん。棒読みじみた俺のカタコトみたいな発言に返ってきたのは、同じ温度に同じ言葉。一秒、二秒、ふはっと思い切り噴き出して、自然に体が離れた。 「なんスか!」 腹を抱える勢いで笑って、目尻に涙を溜めながら日向くんが言う。まるでデジャヴュみたいな、 「わからん!」 くだらないと笑い飛ばせる距離感、あーうん、これで良い。まだ笑いが納まらない声と勢いのまま、俺は日向くんに言う。 「あーマジでちょーうれしいめっちゃすきねぇこれ今からツマミにして良い?!」 「マジすかちょーうれしい俺もすきでもこれツマミになるんスか?!」 なるなる、と弾んだ声で皿を取り上げる。軽い足取り、浮ついた歩調、なんてったって俺は、ほろ酔いなのだ。そう。ちなみに俺はケーキで酒が飲めます! と無駄に自信たっぷりに言う日向くんと隣同士で座って、 「あっ二口さん! お誕生日おめでとうございます!!」 「いま?! ふふっ、おー、ありがと!」 さぁ、お誕生日会の二軒目を、始めよう。 |