二口とひなたと口実の話 |
日向翔陽は、へなへなと頭を抱えて座り込んでいる。ああ、調子に乗ってしまった自覚がある。いやでも一応最初から冷凍するつもりでたくさん作ろうと思って準備してやったわけだし、そうだし、全然まったくこれっぽっちも作り過ぎとかじゃないし! …と、虚勢を張ったところで、目の前の惨状は消えないわけで、いやいや惨状とかそんなバカなっつーか待ってこれフライパンでちまちま焼くのしんどくない? 浮かんでは消える言い訳じみた現実逃避。あっそうだオーブン…ってそれはなんかちょっとオシャレな気もするけどたぶんダメでしょクッキーかよ。 「っあー…作り過ぎたぁあ~…!」 そう、そうなのだ。キッチンをはみ出てテーブル、果てはちょっとベッドの上まで侵食した餃子の山を前に、日向翔陽は、へなへなと頭を抱えて座り込んでいるのだった。 「こんな量、一人でどうしよ………あ」 予定も無く昼過ぎまでごろごろと惰眠を貪って、携帯ゲームなどに興じた休日だった。二口は、そろそろ腹減ったなぁ、なんて思いながら冷蔵庫を開けていた。2リットルペットボトルの烏龍茶が半分ほど残っている。そういや牛乳は飲み切ったんだっけ。あとはマーガリンとジャム、卵。おっと、鮭のほぐしたやつが入っている瓶。以上だ。 「以上か…」 無意識に声が出た。思ったよりも冷蔵庫の中身が心許無い。いやまぁとりあえず米を炊けばなんとかなるような気はするけれど、そもそもが中途半端な時間で、二口はいま、腹が減っているのだ。急げば30分もかからずに炊けるとは思うが、時間のある休日、急いでいるわけではないんだよなぁとわがままな考えも脳内を巡る。ううん、面倒だけれどスーパー、コンビニ、ううん。考えあぐねてじわじわと眉が寄っていった辺りで『ピパロパッピ!』、部屋のどこかに放っていたスマートフォンが着信を告げてきた。 「あー、誰だー?」 音がやまないということは、電話がかかっているということで、もはや夕方に差し掛かったこの時間、遊びの誘いにしては遅い気がする。先程まで自分が転がっていたベッドに、スマートフォンも行儀悪く転がっていた。裏返しになっていたそれをひょいと手に取って「…へっ?!」、今度は二口自身の声が裏返る番だった。嘘だろちょっと待て「は?!」、ぎゅうむと力がこもるのに、指先は戸惑って何もさわれない。いやなんで、うそ、は、うそ。わなわなとそんな言葉を繰り返してから深呼吸、吸って、吐いて、吸って、「…っはい、二口だけど」。 「あ、二口さん! いまダイジョブですか?! めちゃ鳴らしちゃってスミマセン!」 「いや大丈夫だよ、ちょっと探してただけだから」 声が上擦りそうになる。ちゃんと繕えているだろうかと心配にもなる。まさか動揺して画面を見つめていましたなんて言えるはずもない。電話の向こうでは「あっそうなんですねスミマセン!」と日向の、日向翔陽の、再び謝る声がしていた。 「いや、えっと、どうした?」 「えっあっスミマセン!」 何をどう切り出せば良いか決められずに、それでも無難な選択をしたつもりが、日向はまたしても慌てたように済みませんと言う。なんだ、どうした、なんでそんなに、と考えてしまう自分をぐっと抑えて、二口は無理やり口角を上げることにする。 「大丈夫だって。なに緊張してんの」 ちゃんと笑った感じは滲んだだろうか。胸の内では盛大なブーメランだと思うものの、顔も見えないのだ、せめて声だけでも取り繕いたい。二口のその願いが通じたのか、いや通じていないからなのか、日向は「エッ」と短く声を上げたあと、「いやだって電話するの初めてで、なんか…」ともごもご消え入りそうな声で呟いた。呟いたからには、聞こえてしまう。聞こえてしまった、二口に。んぐ、と、思わず息も唾も呑み込んだのを繕って「っあ、あー、そっか。いや、はは」なんて音だけで構成されたような言葉を捩じり出す。動揺、している。だってまさか、そんな。二口は耳元にあったスマートフォンを腕いっぱいに伸ばして離す。まるで祈りだ。すうと息を吸って、落ち着け、俺、念じてから言う。 「え、で、どうしたの」 「あっ、そう、そうだ、あの、あのですね!」 仕切り直し。もう一度、用件に水を向けてやると、ハッと気付いたような様子で日向が切り出した。「ええと、実は」という声は震えるでもなく、ようやっと調子を取り戻したのかもしれない。とりあえず不穏な話ではないだろうと楽観半分、期待半分で二口は頷いて続きを待った。待って聞いたのは、 「ちょっと一緒に、餃子を焼いて食べてほしくて、ですね」 「……ぎょうざ?」 予想よりもずっとずっと穏やかな話で、想像よりもずっとずっと衝撃的な誘いだった。思わず二口は単語を繰り返す。だってこんな調子で言うってことは、お店に食べに行こうではなくて、きっと。 「デス。冷凍すれば良いやって思って作り始めたんですけど、変わり種とか楽しくなってきて、もうめっちゃめちゃ作っちゃったんですよ」 「おぉ、そんなに。ってか、じゃあ」 やっぱり、家に呼ばれるっていう、 「そーっす。そんで、申し訳ないんスけどウチ、フライパンしか無くて…二口さんちでホットプレートも貸してほしくって…」 「!」 流れじゃなかった! 驚く二口に気付かず、日向からは「図々しくてスミマセン…」と少しトーンの下がる声。いや良いよそんなのむしろありがとうだよ! さすがにその言葉は呑み込んで、二口はぐっとスマートフォンを握り直す。あまり、こう、がっつくようなことは言いたくない、言いたくないのだ、これでも。 「今日だよな? 大丈夫、お安い御用だよ」 平静を装って告げる。見えはしないだろうけど、なるべく爽やかっぽく笑う。日向の誘いひとつで、面倒臭さだのなんだの何もかもが吹っ飛んで、テンションが上がってしまうんだから我ながら安いものだ。それでも苦く思わないのは、「ほんとですか! やった!」、電話の向こうで同じように楽しげに弾んだ声を出す日向がいるから。 「作り過ぎてどうしようか考えて、真っ先に思い浮かんだから訊いちゃったんですけど、へへ、すごい、訊いて良かったー!」 「っ、俺の方こそ、餃子とか久々だし、たのしみだよ」 ああマジで、こないだホットプレート買っておいて良かった! 顔のにやけが止まらないし、気分は上がりっぱなしだ。米を炊いておこうか他におかずはいるかなぁ、そうだ飲み物どうしよう、アルコールとか用意しちゃおうか。そんな相談が電話で続く。互いに弾んでいく声が心地良い。 「「じゃあ、一時間後に!」」 一緒に食べよう。餃子だってなんだって、二人で食べれば、きっとたのしい。 |