二口とひなたとかきごおりの話
暑い夏。外から帰ってきてすぐ、冷房をつける。自分の家に帰ってきてもそうだし、人の家にお邪魔しても、やっぱりそうなる。
「二口さーん、クーラー、しゃーっす!」
「ういー」
日向くんの雑なお願いに負けないくらい雑に返して、俺はテーブルの上に放ってあったリモコンを手に取る。ピッと軽快な音と共に、エアコンの羽が動き出した。俺にそれを任せて、日向くんはいったい何をしているのかと振り返れば、カバンを脇に放ってキッチンで戸棚を開けているところだった。
「うーん…茶碗とマグカップ、どっちがマシですかね」
「へ、何すんの? 飲むの? 食べるの?」
「食べるんですけど…」
言いながら、茶碗とマグカップを両手に持って見比べている。食べる、んなら、茶碗じゃないの? 何を食べるのか知らないけど。日向くんは、「用意しとけば良かったなぁ」「うーん」とかなんとか、ぶつぶつ呟いたあとで、「良し、食べやすさ優先! 茶碗にします!」。
「あぁうん、そっか」
ぐっと意気込んだ様子で決めたみたいだったけれど、俺には正直ピンと来ない。日向くんは俺を気にすることはなく、茶碗を二つ取り出してキッチンの台の上に置く。こうやって部屋に呼ばれた時や、なんなら俺の部屋に呼んだ時でも、結構な割合で日向くんは何かしらおやつを用意してくれることがある。今回もそうなんだろうけれど、それにしたって茶碗とマグカップって。疑問を込めて眺めていると、日向くんは「暑いですからね~」と楽しそうに言いながら、んん? 傍にあったジップバッグに入った…氷の塊? をバキバキと手で割り始めた。どうやら冷凍庫から取り出してあったらしい。小分けして食材を冷凍したみたいな、時短料理の元みたいな、そういう感じの平たい長方形の白っぽい塊だ。カレールーを割るように粗方を割って、それからジップバッグに入れたまま、お菓子作りで使っているのだろう木の棒で、さらに砕いている。なんだ?
「ハイ二口さん、茶碗プリーズです」
「え? あ、おう」
言われるがままに、俺はこちらの手元にあった茶碗を滑らせるようにして差し出した。日向くんはジップバッグを開けて、入っていた白っぽい色の氷と思しきものを入れていく。うまいことジップバッグの口を菱形に開いて、器用なもんだ、茶碗の中にはどんどんと山が築かれていった。まるで米の代わりのようにこんもりと盛られて…ってコトは、これは。
「…かきごおり?」
「っぽいものです!」
「…っぽい。まぁ、茶碗だからね…?」
確かに、純粋にかきごおりかと言われれば、ちょっと疑問が残る。見た目的にも中身的にも、だ。しかし、いまいち煮え切らない俺の返答はスルーなのか、日向くんは二つ作った氷の山はそっちのけで、機嫌良さそうに冷蔵庫を開けている。取り出したのは「…瓶?」。思わず呟いて、俺はまじまじと見詰めてしまう。茶色い、ビール瓶の細長い版みたいなヤツで、あ。
「そうでーす、カルピスでっす!」
言って日向くんは、キュポンと親指でキャップを押し上げた。ついでに持ち上げてラベルを見せてくれたせいで、俺の方にもほんのりと甘い匂いが漂ってくる。
「瓶のカルピスって、『夏!』って感じがしません?」
「確かに、冬、って感じはあんま無いな」
ペットボトルのカルピスソーダは自販機でもよく見かけるし、紙パックのカルピスもスーパーやコンビニで見かける。でも、日向くんが持っているのは瓶だ。夏って感じ、という言葉も理解できるが、それよりも、珍しいという感想の方が先に立つ。少なくとも、俺は購入したことはない。
「カルピス好きなの?」
「わりと! これはスガさんにもらいました、おちゅーげんって!」
「お中元?」
「の、おすそわけ的な!」
あぁなるほど、日向くんがお中元をやりとりしたわけじゃないんだな。かくいう俺もやったことはないけれど、実家ではお中元だのお歳暮だのと見かけたこともある。有名パティシエともなれば、企業とか、そういう付き合いもあるのかもしれない。っていうか、それよりも。
「かけるんだ?」
「かけるんです!」
日向くんは、かきごおりにシロップをかけるように、茶碗の氷にカルピスを回しかけていた。白っぽい氷に瞬く間に浸透していく白い原液は、まぁ少し表面を溶かして凹ませるくらいで、見た目にはあまり変わらない。全体的に、白いなぁという印象のそれに、最後に日向くんは、…なんだ? レモン汁? をかけて、俺の方に差し出した。
「完成です!」
「おぉ…!」
なんというか、白い。最後にかけたのは、入っていたボトルから察するにレモン汁なのだが、それも別に特に色があるわけでもない。白い。とりあえず差し出してくれたのを受け取って立ち尽くした俺だったが、「スプーン持ってくんで向こうで食べましょー」という声に押されて移動する。日向くんは上機嫌で俺を座らせて、スプーンを手渡してきた。
「いっただっきまっす!」
「いただきます」
元気の良い日向くんに釣られて、俺もパチンと手を合わせる。そして、スプーンを入れて、ひとさじ。白い。どう見てもただの氷ではなさそうだけれど、でもカルピスの原液かけてたし、ん、あ、「おぉ!」、めちゃカルピス!
「おいしいですよね!」「おいしいね?!」
俺の表情で判ったのだろう、ぱっと顔を輝かせて日向くんが言うのと、予想以上のふんわりカルピス感に俺が声を上げるのが、同時だった。顔を見合わせて、ふは、と笑ってしまう。いやでもこれ、ほんとに、おいしい。
「えっなんか、まろやか? だね? もっとカルピス強いのかと思ったんだけど!」
「ヨーグルトとカルピス混ぜた氷なんです! この前レシピ見て作ったら予想以上においしかったんで、二口さんにもと思って!」
「そッ、かウンうん、めちゃおいしいよ!」
やばい言葉詰まったヤバイ。実際のおいしさ以上に顔がにやけてしまうのを、うまく取り繕えているだろうか。いやもう言葉は詰まっちゃってんだけど。実際これもめちゃめちゃおいしいんだけど。日向くんは見習いとはいえパティシエなだけあって、おいしいものが好きだ。そして、おいしいものを伝えるのもすきだ。よくおやつを作って分けてくれるし、ほんと、他意は無いって知ってるんだけど、知ってるんだけど! 俺にも、って、思ってくれたことが、めちゃめちゃうれしい。
「ふふ、追いカルピスしちゃおーっと!」
そう言って立ち上がった日向くんが、さっきのカルピスを瓶ごとこちらに持ってくる。「追いオリーブ的な?」と訊いてみたら、「的な的な!」と弾んだ声で頷いて、ひゅんとやたら高い位置へ持っていって瓶を傾けた。
「って、跳ねてるし!」
「高級そうでしょ!」
「あぶなっかしいわ!」
ツッコミにけらけらと笑って、「二口さんも!」と渡された瓶、いやうんここはまぁ、乗っかるしかないだろう。
「ふっは、たっけ!」
「そりゃもう日向くんより背高いので、俺!」
半ばどや顔で言ってやれば、笑いの治まらない声で「さいってー!」なんて軽口が返ってくる。少しだけ跳ねたカルピスが甘酸っぱい。スプーンを入れた氷が、ふわふわと甘い。
「あーもー、ふふ、おいしー!」
「だなー。めっちゃうまい!」
合わせる声が弾む。ああうん、夏って感じが、した。