二口とひなたと商店街の話 |
「二口さんって、食べる方ですか?」 昼休み、オイル交換のために店を訪れた日向くんが唐突にそんなことを尋ねてきた。 「え、まぁ…人並みに、食べるとは思うけど…」 いつもと同じオイルを、日向くんの原付に補充する。慣れた作業だ。もちろん慎重には行うけれど、会話が出来ないほどのことじゃない。とりあえず答えると、「じゃあ大丈夫っすね!」と言う。いや何がだ。なんの話だ。俺が戸惑うのをよそに、日向くんはにこりと笑って続けた。 「二口さん、商店街いきましょー!」 「へ? 商店街?」 告げられた言葉は、嬉しいようなやっぱり戸惑うような誘い。商店街、って、なんちゃら銀座とか○○通りとかの商店街だろうか。オイルを入れ終わって、タンクのふたをしめる。手袋を外しながら、日向くんに向き直ると「そうです!」と勢い込んでキラキラした目と視線がかち合った。まぶしい。 「こっから一駅のトコの商店街、知ってます? 俺、けっこー行くんですけど」 「へぇ」 そんなところに商店街があったのか。ウチのバイクショップや日向くんの勤める店があるこの町には、商店街はなかったはずだ。しかし一駅ってことは俺の家もその辺にあるような気がするんだけど、方向が違うのだろうか。つらつらと考えながらも手は淀みなく動き、俺が原付の確認を終えたのを見た日向くんも終了を察したのだろう、「明日、休みって言ってましたよね?」と寄ってきて尋ねる。あ、ちょっと待ってこれ、それ、デートじゃねぇ?! 「あ、それとももう予定ありますか? そしたら次の…」 「いや無い無い無い! 大丈夫! 明日で大丈夫だよ!」 「ほんとですか!」 一瞬戸惑ったような顔をした日向くんの目が、俺の言葉に、きらりと光を取り戻す。ぱっと輝いて、あーもー日向くんずるくない?! そんなん俺、明日でも次でも全部あけるしね?! ということで休みたる今日、時刻は昼過ぎ、バイクショップから一駅、なんなら俺の家の方が近い駅で待ち合わせて、俺は日向くんと合流した。やばい。もうその時点で、やばい、とか思ってしまっている。待って出会う、って、こんなに心躍るものだったっけ、と考える。目的の商店街は、駅の裏側にあたる立地らしい。そもそもが地下鉄の駅なので、裏側という概念もあまり無いのだが、駅の真上は駐輪場になっている。通り抜けは出来るようだったが、大通りからは一本引っ込むことになるので、なるほど裏側か、という感じ。狭そうな店構えの立ち呑み屋なんかも軒を連ねていて、この付近の住人や駅の利用者にとっては、結構良い環境なんじゃないだろうか。 「こっちっす!」 「なんか目的でもあんの?」 日向くんは、俺を先導して迷いなく歩いていた。最初の話でも「けっこー行く」ということだったし、馴染みの店とか行きたい店とかあるのだろうか。立ち呑み屋が並んでいた場所を抜けて、今度は色々と良い匂いがしてくるエリアだ。っつーか、わりと広いなここ。いまどき、シャッター街になっちゃうのも珍しくないだろうに、どこも開けていて元気そうだ。 「ここっす! あ、キミコさーん! 連れて来ました!」 んん?! 日向くんがずんずんと歩いて指差した先は、総菜…特に揚げ物を売っている店らしかった。店の前にはベンチも並んでいて、買って食べられたりもするんだろう。じゃなくて。じゃなくて今! 「あらぁ! 翔ちゃん、いらっしゃい! 彼が『二口』くん?」 「そっす! かっこいーでしょ!」 待って待って待ってどういうこと?! 店番をしていた、「キミコさん」と呼ばれた中年の女性がにこにこと俺たちを歓迎してくれている。さすが日向くん顔が広い、とか思うより先に、いま、ねぇ今、俺の名前、ってか、かっこいーとか、ちょ、えぇ?! 「ほんと、カッコイイわねぇ。今日はサービスしてあげよう!」 「わーい! 二口さん、ここのコロッケ、めちゃめちゃ美味しいんですよ!」 「えぁ、ウン、えっ、うん、そっか」 だめだ動揺が治まらなくて相槌以下みたいな返事をしてしまう。困った俺を見かねたのか、いや多分もともと話好きなんだろう、店番のキミコさんが「ふふ、驚いた? 翔ちゃんがよく話してくれてたのよ」と俺に言った。しょうちゃんが、よく、はなしてくれてた、えっ。 「知り合ったひとがカッコイイって。だから一回連れてきてよって言ってたんだけど、まぁカッコよくて、オバチャンびっくり」 「だから言ったでしょー! あっ、俺、とりあえずじゃがバタで! 二口さん、なんにします?」 「えっ、あ、オススメ、ある?」 「じゃがバタ! この店の名物っす!」 「あ、じゃあ、被っちゃうけど、それにしようかな」 「はーい、ちょっと待っててね!」 じゃがバタコロッケ、そうか、うん、そんな会話をしても動揺が治まらない。あー待ってほしい。ちょっといったん世界は止まらないだろうか。整理する時間を俺にくれ。しかし俺にスタンド能力は無く、時は止まったりしないので、オバチャン…キミコさんは、瞬く間にコロッケを二つ用意して日向くんに手渡していた。そして受け取った日向くんも、座ってください! と店の前に据えられているベンチを示す。隣に座れば、さっそくじゃがバタのコロッケを差し出してくれた。 「いっただっきまーす!」 「いただきます」 とりあえず、隣の日向くんの元気良さを見習って俺もコロッケにかじりつくことにする。持ってるだけでもアツアツで、一口かじれば、ザク、と衣の感触が舌にのって、思ったよりずっと滑らかでほくほくしたじゃがいもに行きつく。しかもそれにバターが合わさっているので「めっちゃうま…!」。 「ですよね! 超おいしい!」 思わずこぼした呟きに、日向くんがこちらを見てぱっと笑った。ああ、本当に好きなんだろう。うれしそうな表情に、同じものを食べている事実に、美味しさだって倍増する。並んだベンチを抜ける風は少々冷たいが、それすら温かいものを美味しく食べるトッピングにしかならない。頬が緩んでいる自覚もある。日向くんは目が合ったあと、また一口かじりつく。と。 「おっ、翔ちゃんじゃねぇか! 今日はまたイケメン連れてんなぁオイ!」 「あざーす! えへへ、 かっこいいでしょー!」 水。誰か水をくれ。思わずむせ返るところだった。噴き出さなかった俺を褒めてほしい。そもそもなんで俺、今日こんな褒められてるのか判んないんだけど?! さすがにこんな明け透けに何度も言われたことなかったよ?! 仕入れなのだろうか、引いた自転車の荷台になんだか大きな箱を積んだ男性が、通り過ぎざまに声を掛けていく。「あとでウチにも連れて寄んな」と告げて去っていくから、仕事中なのかもしれない。とりあえずこの商店街が活気にあふれていることと、 「あとでヤマダさんとこも行きましょうね! 紹介します!」 「紹介…?!」 日向くんの顔が広いことと、 「翔ちゃん、どこでも二口くんの話してたものねぇ」 「はっ…?!」 どうやらもしかしたら俺も有名になっているのかもしれないということを、思い知る。いや待ってナニソレ待って。 「日向くん、俺の話、してんの…?」 「あっ、だっ、だめでした?! スミマセン!」 動揺し過ぎて、とうとう尋ねてしまった。だって、だってこれ、もう訊いても良いでしょ? 少なくともキミコさんは俺のこと知ってたしね?! 「いやだめっていうか…」 「そうよぉ、すっごくイケメンのすっごくやさしいひとに助けてもらったんです、って! それが出会いでしょ?」 「きっ、キミコさん!」 だめっていうか驚いてるだけなんですけどマジで驚いてるんですけど! 初期じゃんそれド初期じゃん、そんな時から話してたの…?! 握ったコロッケを潰してしまいそうだ。いや落とすわけにはいかないから潰さないけども! 日向くんはキミコさんの指摘に拗ねたようにふくれて、コロッケの最後の一口を呑み込んでいる。顔が、赤いですよ、日向くん。まぁ照れくさいのは、わかるけれど。わかるけれど!もぐもぐごくんで、日向くんはパッと立ち上がった。まだ少し赤みを残す頬で「もー…ごちそうさまでした!」、キミコさんに告げてから、俺に向き直る。あぁなるほどそうか次の場所か、と俺もコロッケを口に入れて。 「ほら二口さん食べ終わったら行きましょ! こうなったらもう全員に紹介するんで!」 「ふごっ…まっれまって待って、全員ってなに?!」 まずはさっきの魚屋さんです! と言う日向くんに呆然とする。全員? まずは? 動揺がもはやデフォの俺、口の中のコロッケの美味しさだけが、ああ、なんだかやさしい。 「さぁ商店街ツアーの始まりです!」 「お、お手柔らかにね…?!」 ああもう、心臓が正常を保つ気がしない! いっそ意気揚々と歩き出した日向くんに、俺は戦々恐々とついていったのだった。 |