二口とひなたとたまごやきの話
日向くんから、連絡がきた。「めちゃキレイに焼けました!」という弾んだ一文と共に送信された写真は、黄金色のたまごやき。
「おぉ…」
自分で言うだけあって、確かに相当キレイだ。形の崩れは無く、優しい黄色に焼き目がついていて、店で出されるものみたいな見た目をしている。まるっと一本のままなので、中は判らないが、端の様子を見ても美しく巻けていた。
「すごいじゃん! 美味しそう! 食べに行っても良い?」
ちょうど休みで浮かれた気持ちも手伝って、冗談半分にそんな返信をした。絵文字なんかも織り交ぜて、まぁこれくらいの軽口ならオッケイでしょ、と反芻する時間も無く「わーい来ますか?! だいじょぶですよ!」。
「マジか!」
予想外に色好い返事、俺は思わず派手に大声を出してガッツポーズするトコだった。あぶねぇ。いやしかしラッキーだ、本当に。「マジで? 今から行ってもいい?」、飽くまで軽い調子に聞こえるように、簡単に断れるように、って、気を遣ってんのに一応! 「はーい! おまちしてます!」とさっそく返ってきたメッセージに、俺はもう財布を引っ掴む勢いで支度を始めた!



 そして十数分後には、俺は日向くんの住むマンションの入口にいた。いつ来てもわりと空きのある駐輪場、日向くんの原付の隣にバイクを停める。それから、エントランスのインターホンを押す。少しもしないうちに応答してくれた日向くんの「開けとくんで入ってくださーい」という言葉に従って、俺はさくさくと玄関まで到達した。ここでいつもこっちのインターホンも押すべきか迷っていたのだが、前々回に「ずっと思ってたんだけど押す意味わかんないス」なんてあっけらかんと日向くんが言ったので、前回から俺は、まるで身内のような顔をして扉を開けることにしている。近くなったなぁ、としみじみ思う瞬間だ。そんなことを考えながら玄関を開けた。ら。
「ちわス! 二口さんて、たまごやき甘い派ですかしょっぱい派ですか?!」
「えっ、あーまぁ、甘めかな。どっちでも美味しいと思うけど」
音で気付いたのだろう、日向くんから挨拶もそこそこに質問が飛んできた。反射的に答えたら「はーい!」という元気の良い返事が続いたけど、いや待てなんで今それ訊かれたの? 廊下を進んですぐ右手にある、軽く対面式のようになっているキッチンを覗き込む。日向くんは「じゃあこんなもんかな?」と呟きながら、ちょうど溶かれた卵に砂糖を入れているところだった。手早く混ぜる様子は、サマになっている。が、「あれ、いま作ってんの?」。
「えっ、あー、ハイ、ほら、焼きたてを」「ってか、あんじゃん。もらってい?」
日向くんの言葉を遮った、と考え至った時にはもう遅かった。俺は、対面式のキッチン、ラーメン屋のカウンターのように一段高くなったところに置いてある皿に気付いたし、切り分けられて、且つ数が減っていたたまごやきを、一切れつまみ上げてしまった。
「いただきます」「ぇあ、まっ、それっ…!」
別に前々からわりと、クッキー作ってるんですとか言ってる傍から貰ったりとかしてたし、そういうのいつも日向くんは拒否したりしなかったし。俺はさっき写真に収められていたものだろうキレイなたまごやきを口に入れた。そして大きな目を見開いて、やべぇ、という顔をしている日向くんと、目が合った。………んん?
「…たまごやき」
「…たまごを、焼きましたから」
俺が思わずこぼした言葉に、日向くんの目が泳ぐ。泳いで、泳いで、顔ごとぷいと逸らされた。いやうん、あの、「ごめん」。居た堪れなくなって、俺はとりあえず謝罪を落とす。そう、どう考えても、俺が、「…もー!」、ワルイ。
「なんで食べちゃうんですか! せっかくバレないうちに次の焼こうと思ったのに!」
そう。ひょいと口に入れたたまごやきは、本当に、たまごの味しかしなかった。日向くんは口では拗ねたことを言っているが、一周回って楽しくなってきたらしい、言いきって噴き出した。「さいてーだぁ、さいてー!」と笑いの滲む声で口にしながら、「ちゃんとしたの焼くんで、今の忘れてくださいね!」とフライパンの準備を始めている。あぁ、もう、忘れられるワケないでしょ。
「日向くん、実は料理ダメなの? ウチで鍋やった時、つみれとか作ってきてたよね?」
俺はカウンターを回って、キッチンの中、日向くんの隣に並ぶ。手際よく油を敷いたりしているのを見る限りでは、そんな風には見えないのに。だいたいお菓子作りが得意分野のはずだ。そんな俺の思考を悟ったのか、日向くんはちらりとこちらを見て
「いやだって、そこまでいくとちゃんとレシピ見るじゃないスか」
「あーまぁ確かにな」
言いながら、手元のフライパンへ溶いた卵を流し入れている。うんやっぱ、手際良い。じゅ、と音を立てて端から卵が乾いていく。ぐるりと回すように動かして行き渡らせて、数秒もしないうちに菜箸で端を少しだけめくった。巻き始めるのだろう。
「たまごやき食べたくなって、たまご焼けば良いじゃんって気持ちでやり始めたのが間違いでした」
端から器用に折り畳まれていく。くるん、ぺたん、くるん、ぺたん。
「まぁ間違いなくたまごは焼けてたよ」
「悪意! 別に塩コショウとかすれば食べられるもん」
巻き終わった塊を端に寄せて、残していた卵を半分ほど、再度投入。じゅわじゅわと焼け始めるのを待って、先の動作を繰り返していく。拗ねた口調とは裏腹に、手元は迷いもなく丁寧だった。
「いやごめんて。それ甘いなら、しょっぱいと甘いでちょうど良いじゃん」
「おかずがたまごしかねぇ」
フォローに対してそれか。日向くんは残った卵全てを投入して、また同じように巻いていった。くるん、ぺたん、くるん、ぺたん。最後に整えるように少し焼き色を付けて、完成だ。
「上手いもんだなぁ」
「味は美味いか判りませんよ」
「根に持つね?!」
俺のツッコミに笑いながら、日向くんは完成したたまごやきを引き寄せた皿に移した。ガチたまごやきの手前、出来立ての甘いたまごやきが湯気を立てる。「いいや、切っちゃお」と呟きながら、すっと包丁を入れていく。そして、「二口さん」。
「…おー」
「なにその間! 今度は味付けしてますからね?!」
いやちげぇわおまえが一切れつまんで俺の口元に出すからだわ! なんてツッコめるはずもなく、そして口で受け取る勇気があるわけもなく、俺は少々近い気がするそれを指で受け取って、口に放り込む。はふ、あつ、あ、「うま!」、あまい!
「ほんとスかぁ? …ん、あー美味しい! ちゃんと甘い!」
コミカルに訝しんでから、日向くんも同じく一切れ食べて、ぱっと目を輝かせた。どうやら本人的にも及第点らしい。はふはふと熱を逃しながら成功だと目を細めている。うん、俺も美味しいと思うよ。そうして日向くんは、もぐもぐと咀嚼し終わった辺りで「はー、今日の頑張りは終了です」。
「はは、おつかれ」
まさにやりきった顔で神妙に頷く日向くんに、俺も労いの言葉をかける。この短時間で二本も焼いているし、そりゃあ頑張りも終了だろう。と、他人事のように思っていたら。
「ということで、あとは二口さんの番ですよ」
「え?」
俺の番?
「さすがに、おかずがたまごやきだけなのはアレなんで、もう一品!」
「は?」
おかず? もう一品?
「あっ、今度はちゃんとググりましょー! 何が良いですか?」
「…いや待てまさか」
これは。この、流れは。
「うーん俺、煮物が食べたいです!」
「ハードル高ぇわ!」
もうちょっと気楽に作れるやつにして?! 俺が思わず声を上げたツッコミに「いや時短とか簡単とかありますよ、いまどき」と言いながら日向くんが検索を始めようとしている。手を洗って、俺の横を通り抜ける。目指すは携帯電話なんだろう、鼻歌でも歌いそうな勢いだ。そしてローテーブルにあった携帯電話を手に取って、俺に振り返る。
「別に、料理できなくないっすよね」
いやうんまぁ、出来ない、とは、言わないけれど。俺の答えなんか待たずに、きっと検索サイトかレシピサイトを開いているんだろう。ふんふんと楽しそうに指が躍る。いや待て待って頼むちょっと待ってちょっと、
「ね、二口さん! 夕飯、なんにします?」
そんな嬉しそうな顔で振り返らないでくれる?!
「…なるべく簡単に出来そうなヤツにして」
ついに根負けした気持ちになった俺は、軽いため息を混ぜて了承代わりに、ハードルを下げてもらう準備をする。ベッドの端に座って返事をする日向くんに、あぁもうそれでも俺の頬は緩む。乗りかかった舟ってヤツだろうか。それとも。
「あ、材料無かったら、買い物いきましょーね!」
「んん?!」
なに作らせる気ですか?! 楽しそうに検索する日向くんを放っておけずに隣に腰掛けた。ハードルは、なるべく、なるべく、低いものにしてもらわねばならない。いくら、そう、惚れた弱みがあるといえども!