ひなたくんちに初めて行くターン |
外観は小綺麗な感じだった。三階建ての建物はマンションというには背が低いけれど、アパートといってイメージするような平たい感じではない。定礎の内容を見ると思ったよりも築年数は経っていて、一度リフォームでもしたのかなぁとどうでも良いことを考えてしまう。…正直に言おう、俺は、緊張している。深呼吸。聞いていた部屋番号は、302だ。いつまでも突っ立ってるのは不審者きわまりないし。番号を押して、意を決して、最後に、呼び出しのボタンを押す。押し、た「――あっ」! 「あ」 「二口さん、ちわス! 開けるんで上がって下さい!」 「あウン」 えっ、以上?! いや別にそう確かにインターホンなら顔も見えたんだろうと思うし、時間も何もかも前もって約束してたわけだし、だからつまりここで話し込む必要性はまったく無いし、無いけども?! 言うが早いか切れた通話に、俺は拍子抜けして立ち尽くす。ふと気付けば、通らない俺に焦れたように自動扉が閉まっていくところで、っやべ! 慌てて中へとお邪魔させてもらう。どうやらエレベーターは無いようなので、共同ポスト脇の階段を登っていくことにした。なんか、え、緊張が解れたような解れてないような…解れてないな。拍子抜けはしたけど、逆に、テストが延期されたみたいな感じがしている。仕方ない。なんせ、初めて日向くんの家に来ているのだ。俺の家の方は、最初が終電を逃して泊まるという展開だったせいかハードルが下がって、みんなでウチ呑みをしたりと日向くんも、もはや何度か呼んでいる。が、故に、逆に、日向くんの家に呼ばれたのは、これが初めてだった。いや友達の家に行くとか、しかも実家でもなく、一人暮らしの友達の家だし、ほんと、あの、何も緊張する必要性も無いんだけども! とか思っているうちに、三階分の階段なんてあっという間に上り終えてしまう。301、302、はい目の前。あと二部屋くらい向こうに在るようだ。どうでも良い。判ってる。インターホンを、押す。押すとも。『ピーンポ』「あ」。 「二口さん! いらっしゃいませお待ちしてました!」 「いや店か」 流れるように出迎えられたせいで、思わずツッコんでしまった。いやだって「お待ちしてました」まで付けられたらもう駄目だろ。俺のツッコミに日向くんは「俺んちです!」と楽しそうに笑ったあと、どうぞ、と扉を大きく開けて中を示してくれた。 「お邪魔します」 「適当に座って下さい! もう出来るんで!」 「え、なんか、いー匂い!」 一歩踏み込んだ途端に、なんだか甘くて良い匂いがしてきた。調理の途中なのだろうか、足早に戻っていく背中をなんとなく見ながら、俺はとうとう日向くんの家を歩いている! …と思うような余裕はない程度の長さの廊下で、すぐに広々としたキッチンが横手に出現した。対面式っぽくなっていて、きっと拘ったんだろうなぁと思う。ひょいと覗けば、 「おわ、そーいうのホットスナックで見たことある!」 「ホットアップルパイです!」 ちょうどフライパンから皿へと移動させているおやつに出会った。ぱりっと焼かれた表面はキレイなきつね色で、半円にひだがついた形も相俟って、餃子が日焼けしたみたいな感じだ。数個を並べながら、座っててください、という日向くんに従って部屋の奥へと進入する。目の前には大きく窓が取ってあって、日当たりの良さそうな部屋だった。高さの低いベッドと大きいクッションにローテーブル、テレビはウチより小さいような気がするからあまり重きを置いてないのかもしれない。床はフローリングだし、全体的に柔らかい印象の部屋だ。つか、「キレイに掃除してんなぁ。すげぇ」。 「だって二口さん来るもん! いつもは、キッチン以外はもうちょっとアレです」 「アレて」 誤魔化すようにいたずらっぽく笑いながら、日向くんがさっきのおやつ、ホットアップルパイの載った皿と、どうやらお茶が入ってるらしいコップを持ってやってきた。それをローテーブルに置いて、俺にクッションを勧めて、斜め向かいに座る。あぁ、あーすげぇ、日向くんの家に、居るんだ、俺。 「良かったら熱いうちに食べてください! あ、それともフォーク要ります?」 「いや良いよ、ありがと。いただきます」 あいにくそんなに上品には育っていないので、言いながらさっそく手を伸ばす。日向くんも、どうぞと言って気にすることなく、ひとつ手に取っている。手のひらサイズのホットアップルパイ、持った感じから既に予感がしていたが、ばくりと一口かじれば「うま!」、パリッとした皮に、少しとろっとしたアツアツの中身が超美味い! 「はふ、え、すげぇな!」 「わぁい、美味しかったならうれしいです!」 言っている日向くんもはふはふと熱を逃がしている。美味しい。少しバターの香りがするのと、ごろっとしたりんごの甘い感じが良い。それに、ファーストフードでよくあるタイプだと揚げた「油感」がちょっとハズレだなって時もあるけど、これは焼いてるからかすごく食べやすい。美味しい。 「もいっこ良い?」 「いっすよ、ぜひ!」 皿にはいくつか載ってるから、日向くんもそのつもりなんだろう。本人はひとつ食べ終わったあと、「こないだ、友達が海外ドラマ貸してくれたんスよ。二口さん、見たことあります?」とか言いながら、一歩二歩、横着して床を這いずっている。テレビの台となっている低い棚の近く、放られていた紙袋の中身はそれか。取り出したパッケージには、俺でも聞いたことのあるタイトルと、「シーズン1」「ボリューム1」の文字。口に入っていたホットアップルパイを飲み込んで、俺は尋ねる。 「おー、知ってるけど見たことないわ。日向くん、好きなの?」 「や、俺も知ってるだけです。って言ったら『良かったら見てみろよ!』ってごそっと貸してくれました!」 「へぇ」 日向くんは中身のディスクを取り出して、パッケージの方はテーブルに置いてくれた。特にやることも決めてなかったし、DVDを見るのも全くもってアリだろう。残っていたホットアップルパイを口に放り込んで、用意してくれたお茶を飲む。お茶で口がさっぱりすると、もう一つや二つ、食べられてしまう気がする。なんて思いながら、日向くんが操作している間に俺はなんとなくパッケージを手に取って眺めて、ふと気付く。 「うわこれめちゃ長いじゃん、シーズン1だけでも12まであんだね」 「そーなんすよ、頑張りましょうね!」 「えっ、うん」 あぁまぁ友達に借りてるなら、別に少々長いこと借りててもだいじょ「あ、あと今日の夕飯のデザートもりんごなんで覚悟してくださいね!」。 「うん?!」 あっだめだやっぱツッコんじゃう待って日向くん待って?! これ今から見るんだよね、いつまで見る気なの?! 俺の動揺をよそに、日向くんはセットが終わったのかリモコンを持って俺の隣に改めて座り直している。それからこっちに顔だけ向けて言う。 「あーでも、全然ダメだったら言って下さいね。無理して見るモンじゃないと思うし!」 「お、おぉ…」 「ちなみに夕飯はシチュー作ってあるんで、準備万端デス!」 「おぉ…!」 駄目だ、これは駄目だ、いや駄目じゃないんだけど、駄目でしょ?! 半ば自慢げな褒めてほしそうな顔をして、日向くんはリモコンのスイッチを押す。俺はといえば、全くもって画面を見る心境じゃない。鎮まれ心臓。夕飯作ってあるのマジかよ、デザートもりんごっつってたけど、おやつがこれだ、剥いただけってのも考えにくい、そもそもおやつも作ったんだよねこれね、そんで目の前の日向くんは「りんご、いっぱい貰ったんですよねー」とかなんとか、どうでも良いことを言っている。いやどうでも良いとか言ってごめん。でもちょっと待って日向くん、どんだけ準備してんの、ってか、ねぇ日向くん、 「二口さん、明日休みって言ってましたよね! さぁ始まりますよぉ!」 日向くんほんと待って日向くん! 楽しそうに笑った彼は、ほらとテレビを指さして画面を見つめ始める。暗かったテレビ画面はタイトルロゴのあと、強面のオッサンの緊迫してるっぽいシーンを映し始める。シーズン1、ボリューム1、ああ何もかもが、始まったばかりだ! |