二口がようやくケーキショップを訪れる話
 実際に、近くまで来るのは初めてだった。道として通ったことくらいならあるとは思うが、意識の端にも上っていなかった。現在地、ケーキショップの前。日向翔陽の働く、ケーキショップの。
「…うわなんか緊張してきた」
思わずぼそりと呟いてしまった言葉に、さらに自分の緊張が煽られるような気もする。二口はリラックスを心掛けるように、すとんと肩を落としながら強く息を吐き出す。そもそもケーキショップ、しかも路面店なんて、自分の人生においてさほど縁の無い場所だった。外観はわりとスタイリッシュな色が強くて、少しほっとする。あからさまにメルヒェンな雰囲気とかではなくて良かった。大きく窓が作られていて、もう少し進んだら店内も見える気がする。いったん通り過ぎることは許されない、それじゃ不審者だ。いや別にそんな緊張することじゃねーし、そうそう全然ヘーキだし。脳内で目まぐるしく言い訳じみた言葉が回る。ヨシ、と改めて気合を入れるように小さく呟いて、二口は一歩を踏み出した。
 「いらっしゃいませ」
扉に取り付けられたベルが小さく鳴って、人影に気付いた女性店員が顔を上げた。マジか、と一瞬思う。いやでもそりゃ一人でいるワケもねぇか、と気を取り直して、とりあえずケーキのショーケースに寄「あっ、二口さん!」ろうとした瞬間、奥の厨房らしきスペースにつながる扉から、補充用だろうか、ケーキを載せたトレーを持った日向が現れた。目を丸くして、驚いた顔をする。
「あー日向くん、ドモ」
明るく告げられた言葉に二口は小さく頭を下げて挨拶した。顔を見たら見たでなんとなく気恥ずかしさも手伝って、照れ気味の声になったのが自分でもわかる。しかし日向は気にしないようで、「わぁマジで来てくれたんですね! あざす!!」なんて嬉しそうに答えた。
「日向くん、私やるよ」
「あっ、ありがとうございます!」
会話する様子に顔見知りであることを察したのだろう、道宮は日向が持っていたケーキのトレーに手を伸ばした。素直に礼を言ってそれを差し出した日向は足取りも軽く、てててと弾むようにカウンターから出てくる。向かい合う形で二口の隣に立って、「迷わず来れました?」。
「いや日向くん、俺のことなんだと思ってるの? それとも日向くんはいつも迷いそうなの?」
正直、二口の働くバイクショップからこの店まで、大通り沿いに一本道だと言っても過言ではない。にこーと笑顔を作りながらそんなことを言ってくる日向に、思わず二口は眉を寄せてツッコむ。対する日向が「もう迷いませんよー!」と返してきた辺りに不安は残るが、まぁ良いか。日向の方も話題を引っ張るつもりはないようで、「来てくれてうれしいです!」と頬を緩めている。
「てか、二口さんの私服! 新鮮!」
「え? あぁ…まぁ俺としては日向くんの制服が新鮮だけど」
「あーそっすよね!」
バイクショップでの仕事中なら作業着だし、そこへ来る日向は、中は制服かもしれないが、たいていパーカーを着た状態で訪れる。しかし今日は、二口にとっては休日であるがゆえに当然私服だし、日向は働いているのだから制服だ。細身の黒いパンツに、袖とタイにオレンジのカラーが使われた白いシャツ、黒いベストと、シンプルな出で立ちはカフェ店員やバーテンダーのような大人っぽさを見せた。だがしかし、「ちょっと大人っぽいじゃん」とからかうように言った二口に、「大人ですし!」と自信満々な表情で笑っている様子を見るにやはり元気ハツラツといった印象の方が強くなる。
「二口さんはアレっすね、やっぱ私服もかっけー!」
「んっ?」
「俺だと全然似合わなさそうな気がする! さすがかっけーひとは違うなーって感じ!」
「へっ、あっ、ウン、どーも?!」
そんなこと思ってたの?! と、思わず問いただしそうになった。詰まった声、どもった言葉は、うまく取り繕えた気はしない。びしりと一瞬だけ体が強張るが、日向は気付かないのか意に介さないのか、「二口さんは、どういうのが好きですか?」とケーキのショーケースを指さしながら向かい合った体勢から向きを変える。肩と腕が触れて、隣り合うような、並ぶ形になった。
「いや、あんま、食べないし、詳しくないんだけど」
台詞を絞り出す。なんというか、アウェーにいるという気持ちも手伝ってか些細なことに動揺してしまう。二口が少々ぎこちなく告げると「えっ…と、甘いの苦手、とかじゃないですよね?」と日向が顔を上げた。ほんの少しだけ困ったように下がったトーン、二口は慌てて「いや本当に詳しくないだけ!」、ぶんぶんと手を振るジェスチャーで否定した。
「こないだ作ってくれたやつ、アレは本当に美味しかったし! 甘いの自体はフツーに食べるよ! ただ材料がどうとか中身がどうとかはピンとこないっていうか!」
「あーなるほど! …良かった、無理してくれてたのかと思いました」
「いやそれはないから!」
ほっと小さく日向の肩が下がって、ぼそりと言葉が付け足された。食い込むようにそれを否定した二口の勢いに、ゆると眉を下げて「じゃあとりあえず、定番品から攻めましょー!」、ぐっと気合を入れるように拳を握って見せた。
「定番っていうと、店の人気商品?」
「ですし、世間的にも定番です! これ、スガさんの季節のショートケーキ、ほんっと美味しいです!超人気!」
ついと日向が指をさす先には、土台は普通のショートケーキに見えるが、上にはちょこんと加工されたりんごのようなものがのっている。その隣にはよくイメージされるような、いわゆる「フツー」のショートケーキもあって、二口は思わず首を傾げて尋ねた。
「こっちのイチゴのじゃないんだ?」
疑問を受けて、う、と日向の視線が泳ぐ。
「…そっちは、定番ですけど、その、主に俺が受け継いで作ってるっていうか」
「じゃあ両方買うし! 隠すのやめて?!」
「なんか今の流れで言うの、照れるじゃないスか!」
言葉どおりに少し頬を赤らめた日向に、道宮がくすくすと笑って「どちらも人気ですよ」と助け舟のようなトドメをさした。
「もー日向くん、ちゃんと自己申告して?! 他には?!」
「いやもう無いです! アシスタントとして厳密に言えば作ってますけど、その程度です!」
「ほんとに?!」
「ほんとに! あーそれよりこれ! 青根さんが好きなやつ! どうですか?!」
問いただすような様相も見せてきた二口の態度に、慌てたように日向が話題を変える。指さした先はモンブランで、二口も「あーそういやアイツ、栗きんとん好きだったなー」と思い当たった。青根が好きだというのも嘘ではないだろうし、そもそも日向が嘘をつけるような性格でもないだろう。じゃあそれも、と頷いた二口に頷いて、道宮が楽しそうに箱詰めをしていく。
「あと、シュークリームだっけ、前に言ってたの。それも入れてください」
「えっ、あ! あーそうです、シュークリーム!」
そういえば以前、青根が買っていったと話したことがある。覚えてたんですね、と声を弾ませる日向に、まぁ、と二口は頷いた。そうこうしている内に、道宮は手際良くケーキを詰め終わり、中を見せて確認が行われる。あとは会計を済ませてしまえば、買い物は完了だ。レジに立った日向が金額を告げた。
 「そういえば、二口さん、今日はなにで来たんですか? あ、てか、バイク乗るんですよね?」
紙袋に入れたケーキを渡しながら、ふと思い立ったように日向が尋ねた。ケーキみっつにシュークリームひとつ、あからさまに持ち帰るためにバランスを要する買い物で、バイクには不向きなものだろう。そもそもバイクショップ店員への先入観で尋ねてしまったが、バイクに乗るかどうかも知らないのだ。んんん、と言葉を続けるにつれて首を曲げていった日向に、しかし二口は「あぁ、歩き」と事も無げに答えた。
「えっ、歩き?!」
「俺んち、ウチの店から徒歩圏内なんだよね。こっちまで来るとちょっと遠いけど、まぁ歩ける距離だよ」
「そうなんですね…! あーそっか、さっき保冷剤一個で良いとか言ってましたもんね」
合点がいったように頷く日向、二口も「そーそ」と軽い調子で肯定した。そして改めて紙袋を受け取って「食べたら、感想送るわ」。
「あーぜひ! スガさんのケーキ、ほんっと美味しいですよ!」
「ハイハイ、日向くんのケーキもね」
「うっ…お手柔らかにお願いしマス…!」
言葉を受けて途端にぴしりと固まった日向に、二口は小さく噴き出す。そもそも任されているんだから大丈夫だろうに、と思うが、まぁ確かに知り合いに品評されるのは緊張するのかもしれない。楽しみにしてる、と告げるにとどめて、二口は「じゃあまた」と軽く手を上げた。
「あ、ハイ! また遊びに行きますね」
「ありがと、待ってるわ。てか俺もこっち来るよ」
「わーい! お待ちしてます!」
それじゃあと、改めてひらひら軽く手を振って背を向けた二口を、日向は見送る。やがて通りに面した窓からも姿が見えなくなった頃、道宮がぽつりと「日向くん、あのひとと仲良いんだねぇ」と呟いた。
「はい! 原付故障したの助けてくれるし、めちゃ良いひとですよ!」
「待って待って、そのひと、いまのひとなの?!」
それけっこー最近じゃなかった?! と道宮の動揺した台詞に、日向が「そーっす。一ヶ月…二ヶ月くらい前ですかね?」なんてきょとんと首を傾げる。
「はー…日向くんほんと、すぐに誰とでも仲良くなるよね…!」