二口くん、誕生日おめでとう |
明かりを絞ったバイクショップ、カウンターに少々不釣り合いな白い箱が置かれる。二口は、簡単にリボンがかけられたラッピングを、慎重にといていく。箱は、よくケーキを運ぶのに使われる上部が口のように開くものではなくて、テレビ番組なんかで見かけそうな、そのものを持ち上げて底と分離させて開けるタイプのものだった。不用意に当てたりしないように、ゆっくりと持ち上げていく。充分な高さで横にずらして、「…えっ、ちょ、これっ…!」、思わず言葉を失った。 「誕生日だって、言ってましたよね」 少しだけ照れくさそうに、日向の眉が下がる。好みじゃなかったら申し訳ないんですけど、と付け足される。いや好みとか好みじゃないとか、なんかそういうことじゃない。言葉がうまく出てこずに、二口の中で感情がただ膨らんでいく。正直、察していた。待っていてほしいとわざわざ連絡がきて、持ってきた箱の形状が形状で、これはもう「そう」だろうと思った。思ったのに。 「ひ、なたくん、これ…」 ようやく絞り出した声が震える。想像以上だった。想定していなかった。日向が持ってきたのは、恐らく手作りの、小振りのホールケーキ。日向は二口の視線を受けて、崩れてなくて良かった、となんでもないことのように言う。 「二口さんの好み判んなかったんで、俺がわりと得意なの作ってきちゃったんですけど」 「いや、いやいや、マジで? えっいや、うん、え…すごいね?!」 うまく言葉が継げない。パティシエ見習いということは聞いていたし、別に疑っていたわけではない。が、事実を事実として、目の前のケーキに改めて実感する。手のひらを広げたら掴めてしまいそうな、よくある想像よりも少し小振りなホールケーキ。真っ白に化粧された土台の上には、たっぷりの生クリームがぼんぼんと惜しげもなく絞り出されていて、中央よりも少し外した辺りに鎮座している真っ赤に熟れた苺、寄り添う二つはまるで王と女王のようだった。あいた空間には細く絞り出されたチョコレートでくるくると綺麗に模様がえがかれており、よく見れば華やかなそれに隠れるようにしてローマ字で名前がつづられている。まるで既製品のような、しかしそれにしてはあまりにも、自分のために、作られていた。 「保冷剤もあるんで、二時間くらいは持ち歩けますよ。あ、一応フォークも持ってきたんで、家にフォークなくてもダイジョブです!」 偉いでしょ、とでも言うように日向は笑う。そのまま柔らかく笑みを深くして、「誕生日、おめでとうございます」と告げた。 「いや、うん、ありがと…! すげ、びっくりした」 「あはは、すげぇ伝わってきてます」 声は震えなかっただろうか。二口の絞り出すような返答に、日向は楽しそうに笑って、それフォークっす、と指をさす。箱を持ってくるのに使った袋の中、コンビニでパスタに付属されそうなプラスチックで作られているものが入っていた。二口は持っていた箱の上部分をそこいらにぶつけたりしないよう、慎重にカウンターの脇へ退かす。そして、フォークを手に取った。 「…ね、いま、食べても良い?」 「エッ、いま、ですか?」 二口の申し出に、日向の眼が丸くなる。それはそうだろう。保冷剤を付けていると明言したし、何よりバイクショップのカウンターは、間違ってもケーキを食べるような場所ではない。百歩譲って奥の事務所などなら休憩にも使っているスペースかもしれないが、フォークを手にしている今、ここで、二口は食べる気なのだろう。現に、「うん」と頷いた二口は言葉を続ける。 「だって、これすげぇうまそうだし、めっちゃ食べたい」 パッケージがこすれてかさりと立てる音に、思わずフォークを握った手に力が入っていることを知る。いやまぁここで食べるとかアレだって判ってるけど、と、もごもごと付け足した。でも、いま、食べたい。日向の作ったケーキを、食べてみたい。 「っふふ、二口さん、めっちゃ熱烈じゃないスか」 一瞬、きょとんとした表情をしたあと、日向が噴き出して言った。まだ少し笑いの滲んだ声で、俺は良いですよ、と頷く。 「てか俺、居ても良いんですか?」 「うん正直ワケわかんねーこと言ったなとも既に思ってるし、とりあえず一人にしないでほしい」 「あはは! 寂しがり屋みたいな発言しますね!」 照れ隠しの代わりに至極まじめな顔をした物言いに、日向が朗らかに笑って明け透けなツッコミを入れた。しゃーねぇだろ、と唇を尖らせた二口は手にしていたフォークの袋を開封する。これ以上を言い募っても墓穴を掘りそうだと観念して、「いただきます」、少しだけ緊張する手で、ケーキにフォークを入れた。チョコでえがかれた飾りとクリーム、真っ白なケーキを大きめの一口サイズに削れば、中は薄い黄色のスポンジが上下に分かれていて、間には苺だろうか、赤い色が見受けられた。がばり大きく開いて、ぱくり一息に口に入れる。 「ん!」 舌に触れるクリームはなめらかで、スポンジのきめが細かい。見た目のボリューム感ほど甘さは強くなく、むしろ間の苺の甘酸っぱさが際立っている。これは文句なしに「美味しい…!」。 「ほんとですか! 良かったぁ」 二口が思わずこぼした言葉に、日向がほっとしたように息を吐いた。肩がすとんと下がる様子は、緊張していたこともうかがえる。その綻んだ顔すら気付かぬように、二口は「いやマジで」「めちゃうまい」なんて短く肯定を繰り返して、既に次を取るべくフォークをさしていた。 「俺、ケーキとか詳しくないから、ほんと、美味いしか言えないんだけど、マジめっちゃ美味い! 日向くん、すごいね?!」 「いやぁ、俺はまだまだデス。でも、喜んでもらえて良かった!」 二口の手放しの称賛は、見習いを自負する日向には少しくすぐったい。とはいえ、心強くて温かいものだった。言葉の正しさを裏打ちするように、二口はもぐもぐと食べ続けている。真っ白なクリーム、チョコレートの模様はずいぶんと削ってしまった、大きな苺の残された一つは最後に食べる気だろうか。唇の端にクリームがついたのをぺろりと舐めて咀嚼している。その様子に目を細めていた日向が、ぽつり、言いかける。 「…あの、二口さんの好きなの、食べものとか、なんでも、良かったら教えて下さい」 軽くなった気持ちのまま、言葉は自然とこぼれた気がした。会話に紛れてしまいそうな声量だったが、残念ながら現状は心地良い沈黙が落ちていて、その声はやけに響いた。二口のフォークを持つ手が止まって、最後のふたかけになるはずのケーキが不自然に残る。聞こえた言葉に、思わず日向に視線をやってしまった。しかし日向は注目を気にすることなく、「そしたら」と言葉を継いだ。 「そしたら、来年は俺、もっと二口さんの好みのケーキ作れますよ!」 レベルアーップ、なんて節付けてとなえる言葉は無邪気そのもので、他意も真意も裏表もないのだと判るものだった。わかるから、タチが悪い。取り落としそうになったフォークを握り直して、二口がごくりと唾を飲み込む。いま、こいつ、なんつった。さっきまで美味しい美味しいとケーキを口に入れていたはずなのに、途端に味を感じなくなったような気になるんだから不思議だ。不審を感じさせないぎりぎりの空白、とりあえず二口はへらりと笑ってみせた。口を開く。軽く聞こえないように、重く聞こえないように。 「マジで! よっしゃ、長期戦でいこーぜ。超楽しみにしてる!」 「任せてください! 期待に応えますよ!」 ぐっとファイティングポーズでもするように両の手を握った日向にはきっと、表面通り冗談にも似たあたたかい温度で伝わったはずだ。証拠に日向は「腕がなるぜぇ!」なんて意気込むように言って、にこにこしている。残ったケーキ、最後のひとかけに割るのはやめて、二口はぱくりと大きめのまま放り込む。口いっぱいに広がるケーキ、ああ、美味しい。とても、おいしい。飲み込んで「ごちそうさま」と告げたら、やっぱり日向は楽しそうに「おそまつさまでした!」と顔を崩した。 「日向くん、近くに自販機あるからコーヒー買いに行こ。あったかいの飲みたい気分」 「もう寒いっすもんね! 食後のコーヒーだ!」 「そーそ。すげぇハッピーな気分なので、日向くんの分は年上のお兄さんが奢ってあげますよ」 「年上のおにーさんて! じゃあ俺、コンポタ飲みたいです!」 「チョイス、それ?!」 そして二人で、明かりを落としたバイクショップを後にする。まだ、ウチで飲もうと誘う度胸は持てないけれど、それはまぁ長期戦だと決めたのだ。二口は取り敢えず施錠した鍵を、機嫌良く指先でくるりと弄ぶ。自販機どっちっすか、と振り返った日向に追いつきながら、あっち、と足並みを揃えた。 |