二口と日向でホットケーキ |
「あーっ二口さん、あれ、あれ買いましょ! あれ食べたい!」 「なになになにどれ? ちょっとトーン落として、日向くん…」 ばしばしと俺の肩甲骨を連打する日向くんに、俺は振り返る。俺はちょっともうわりと気持ち悪いっていうのに、日向くんはずいぶんご機嫌だ。叩いていたのとは反対の手で棚の一角を指さして「あれ!」と俺を見上げる。 「なに、どれ、しょうゆ?」 「飲まねぇし! あっち、ほら、ホットケーキミックスある!」 「は?」 ホットケーキミックス? 俺は思わず目を細めて棚を見やる。コンビニの店内、一人暮らし用の食品ゾーンといった感じの棚、小さめの調味料、乾麺、すげぇな味噌まであんの、鍋のもと、で、あ、これか、「ほんとだ」、スーパーでも見かけるようなサイズのホットケーキミックスお徳用が、棚の一番下に置いてある。買う人間も少ないのだろう、常にラスイチに違いない。なんならちょっと埃っぽいんじゃないかとかさえ思うような。 「二口さん、明日ホットケーキにしましょ! きーまり!」 「は?」 「朝ごはん! ね! あとー、たまごとぎゅーにゅー!」 …ご機嫌だ。俺はそろそろ頭ガンガンしてきた感じするのに。さっきまで一緒だった黄金も、いつも酔うと楽しそうに笑っているけれど、日向くんもそのタイプだ。いつまでも楽しそうだ。なによりだ。黄金が最終に間に合って本当に良かった。この二倍とか耐えられないわ俺。 「ある、家にあるから」 たまごを吟味し始めた日向くんに告げる。たぶん、という言葉は心の中で付け足しておいた。無きゃ無い時だろ。俺の言葉に素直に「おぉりょーかいです! ぎゅーにゅーは?!」と顔を上げた日向くん。やたらめったら伸びている気がする言葉は、酔っているからだろうか。少し舌っ足らずな感じも受けるようなそれは、……頭痛い。 「日向くん、必要なの買ったら行こ…」 「はーい!」 翌日、いつものベッドで俺は目を覚ました。ぼんやりと現れた視界を確認する。朝だ。今日は休み、いま何時だ。 「んー…」 無意識に唸りながら身を起こす。しぱ、しぱ、瞬きを繰り返す。あれ。当たり前だが普段は直角に折れて椅子の形状をしている座椅子が、伸びている。あれ。昨日、俺、きの「あっ、起きました?」、う?! 「おはようございます! ちょっと早く目ぇ覚めたんで、勝手に始めちゃいました!」 「…おはようございます」 驚いた。そうだった。昨日、俺と日向くんと黄金と、三人で呑みに行ったんだった。黄金が会ってみたい会ってみたいと煩かったから、俺は初めて日向くんを呑みに誘った。青根も来られたら心強かったんだけど残念ながら来れずで、結果、俺は意気投合した黄金と日向くんのテンションを止めきれずに持て余したのだ。…いや、案外強い日向くんと一緒に、ちゃんぽんしてしまったのがまずかったと正直に認めよう。途中でワインまで挟んだのがたぶん敗因だ。そうして俺がだんだんと気持ち悪くなってきているうちに、黄金が「アッ最終!」と叫び、バス停へ走り終バスを見送り、「…あれ、日向くんは…」どうするの、と視線を向けたら、「俺、原付あるんで!」。 「…は? 呑んだでしょ?!」 「…あ」 そうしてやむにやまれず色気もへったくれもなく、日向くんは一番近かった俺の家に、「お泊まり」することになったのだった。ベッドの上でぼんやり思い返している内に、記憶も意識もはっきりしてきた。思い出せば、ずいぶんと格好悪い記憶である。まぁしかし幸いなことに気持ち悪さは抜けているし、どうやら二日酔いにはならなかったらしい。セーフ。そうこうしているうちに、キッチンに立っていた日向くんから「もーすぐ出来るんで、顔洗ってきてください! 目、覚めますよ!」と声が飛んでくる。いや待って何それ。ちょっと顔がにやける。てか、何やってんだ? 俺はもそもそとベッドから立ち上がり、一応、格好を整える。言われた通り、顔も洗ってキッチンスペースへ足を踏み入れた。甘く、良い匂いがする。 「なに?」 「えー、昨日言ったじゃないですか! ホットケーキ!」 「あ」 そういえば、帰り際に寄ったコンビニでそんなような言葉を聞いた記憶がある。手元を見やれば確かに、まだ白っぽい色をした塊が徐々にふくらんでいた。勝手に使っちゃってすみません、と言いながら日向くんはフライパンから視線を外さず、中身を引っくり返す。逆側、いわゆるきつね色に綺麗に焼けたホットケーキがお目見えした。 「…日向くん、コーヒー飲める?」 「飲めます! ミルクと砂糖いれてください!」 「それ、『飲めます』なの?」 尋ねて返ってきた答えに小さく笑う。試練は与えずにカフェオレにしよう。俺も、こんな日にブラックはキツいかもしんないし。電気ケトルに水を入れて沸かす。その間に日向くんは、場所は確認済みだったのかシンク下のスペースから皿を二枚取り出した。あぶねぇ。洗うのめんどくせぇしなとか思って二枚買ってた過去の俺、超グッジョブ。俺の内心なんて気にも留めずに、日向くんは焼き上がったホットケーキを手際良く皿へ移す。それから、次の一枚を焼き始めた。 「もーちょっと待っててくださいね」 さすが本職とでも言うべきか、日向くんの手は淀みなく動く。丸くフライパンの上に液を流して、待って、引っくり返す。なんなら鼻歌でもうたいそうな機嫌の良さだった。エプロンなんてしゃれたものはウチに無いので、服装は昨日のまま、袖を捲り上げた大きめのパーカー、七分丈のボトム、心なしか昨日より髪が跳ねている気がするのは気のせいだろうか。そういえば、どうやら座椅子で寝かせてしまったようだったけど、どこか痛めたりしなかっただろうか。 「昨日、からだ痛くなかった? 大丈夫?」 「ふっは、二口さんなんかヤラシイ!」 「はっ…? はぁあ?!」 俺の問いかけに、日向くんは噴き出した。思わず思考停止、一拍置いて、つい裏返った声を出してしまった。しかし俺のぎょっとした視線を受けても日向くんはどこ吹く風、器用に引っくり返したホットケーキを皿に重ねた。それから、「蜂蜜とかあります?」。 「…無い。マーガリンしかないよ」 「おっじゃあマーガリンのっけちゃお! 良いですか?!」 良いも何も。多少ぶすくれた声になってしまったことに、日向くんは気付いているのか。いや気付かれてもアレだから良いんだけど。冷蔵庫からマーガリンを出して立方体に切り取っている日向くんを横目に、俺はカフェオレの準備をする。ヤラシイ、とか、言いやがって。まぁでも。 「できました!」 「ん。持ってくわ」 にぱ、と綻んだ顔には、なんの他意も嫌悪も無さそうだから良いか。同じく完成したカフェオレ入りのマグカップとホットケーキを持って、ベッド脇のローテーブルの方に移動する。あーこないだ掃除しておいて良かった。適当に置いてあった雑誌だけ片付けて、皿とマグカップ、フォークが並ぶ。座椅子は日向くんに勧めておいた。ええ体が痛くないか心配ですし?! 「ふふっ…いただきます!」 「はー…いただきます」 まだ温かいホットケーキは、パッケージに掲載されそうな丸みと厚みのある形をしていた。すごい。ウチにナイフは無いので、フォークで適当に切り分ける。かすかにフォークが押し戻される感触、一口大にちぎりとるようにして、ぱくり。 「うま!」 思わず声を上げてしまった。あたたかくて、ふわふわだ。マーガリンのしみた部分が濃厚で、えっ日向くん何したの、とか思ってしまう。記憶のホットケーキより、ずっと、ずっと美味しい。すげぇな、と呟いて、もうひとくち、もうひとくち。 「ホットケーキおいしいですよね。たまにムショーに食べたくなります!」 「いやてゆかこれ、日向くんがすごいでしょ」 少なくとも、俺の実家で出てきたホットケーキ、こんなじゃなかった気がしますけど?! 俺の言葉に、日向くんは「ホットケーキミックスがすごいんですよ」と笑う。笑ってカフェオレのマグカップに口を付ける。 「おいしい。あ、そういえば二口さん、今日のご予定は?」 と言ってももう昼近いですけど、と続けられる言葉に、光景に、ああ、胸が詰まる。言葉が詰まる。顔、赤くなったりしてねぇよな。あーなにこれ。マジで。自覚する。いやしてたけど。アレだ、実感、する。 「…ない」 「あ、じゃあゆっくりできますね!」 そうですね! 日向くんの言葉に、心の中で全力肯定。ああ日向くんの予定はどうなんだろう。今日一日、ついでに、一緒に過ごせてしまったり、するのだろうか。だって別に、友人が終電逃して泊まって、そのままだらだら遊ぶとか、フツー、フツーなはず、だろ。だろ?! いや取り敢えず。 「…今度は、酔ってない時に泊まりに来てよ。そんで、ウチ呑みしよう?」 「お、良いっすね。今度こそ青根さんも呼んで! あ、俺、多少は料理できますよ!」 うん今はそれで良い。別に良い。楽しそうに笑ってくれた日向くんに、「つってもまずは、今日の予定からかー」と、俺は極めて自然に、ごくごく自然に、本当に自然に、切り出した。 |