二口と青根とひなた/揚げ耳パン持ってくる話
二口と青根の働くバイクショップ、店の前で、排気音が止んだ。音が軽かったから、きっと原付だろう。二口はカウンターの中、顔を上げる。青根はフロアで、作業の手を止める。心の中、思わずカウントしそうだ。
「こんにちはーっ!」
「おー、いらっしゃい」
日向が、元気良く戸口に現れた。
「今日はいいもの、持ってきましたよ!」
ふっふっふ、と楽しそうに笑みを深めながら、日向は足取り軽くカウンターの方へと寄ってくる。その様子に、青根も同じくカウンターへと戻ってきた。二人を迎える形になった二口が「『いいもの』?」と首を傾げる。
「そーです! じゃーん!」
そう言って効果音はセルフサービス、日向は後ろ手に持っていた紙袋を掲げてみせた。手の中、がさりと音が鳴る。底は広めの四角、上部はぐいと何回か折り曲げてある、至って普通の、茶色い手持ちの紙袋だ。特徴らしい特徴といえば、
「…え、うん、パン買ったんだ?」
前面に、やきたてパンという文字と共に、どこかの店のものであろうロゴが印刷されていることくらいだった。言いたいことが察しきれず、二口の語尾が疑問形になる。良かったな? と続けそうになったところで「あ」という日向の気付きが被った。
「あー違います違いますスイマセン。パンは買いましたけど、違くて、中身の方です!」
「中身?」
中身だって、パンなんじゃないのか? パン屋の紙袋を持って、パンは買いましたけどと言って、それはもう自明の理では。ますます訝しげな視線を送ってしまった二口だったが、日向は気にする様子もなく、「駅前に、パン屋さん出来たじゃないですか」と話を続ける。続けながら、袋の上部である折り曲げた部分を持って、紙袋を振った。上下に揺すられた紙袋は、しゃかしゃかと音を立てる。中で何かが、こすれている。
「そこのパン屋さんの職人さんと仲良くなったんですけど、パンの耳、めっちゃ分けてくれてですね!」
本当に誰とでも仲良くなるなぁと二口はぼんやり思った。商店街でもあればアイドルだったろうに、いやぁこの街に商店街が無くて良かった。見えてこない話にどうでも良い感想をいだいた辺りで、「ハイ、じゃーん!」、仕切り直された効果音、意識が持っていかれた。日向が、振った紙袋の口を開けてこちらに見せるように差し出している。ふわりと甘い匂い。思わず、二口と青根は揃って覗き込んでしまう。
「!」
「…揚げ耳パン?」
「そーでっす!」
丸く眼を見開いた青根に、検分するように目を細めた二口、あいだで日向がにんまりと笑った。二口の指摘通り、入っていたのは食パンの耳をカリッと揚げたらしい、揚げ耳パンだった。大粒の砂糖がまぶされているし、さっき振っていたのはこれを混ぜるためだろう。日向はその中から一本を取り出して「ほら!」と二人に見せる。
「さっき揚げてきました! あったかいうちに食べてほしくて!」
先に手を伸ばしたのは青根だった。日向がつまんだ一本を受け取って、おずおずと口を開く。だんだんと拡散されたのか、甘い香りが強くなってきた気がする。すん、と鼻が動いて、口はぱくりと一本を招き入れた。もぐ、もぐ、もぐ。何度か咀嚼して、喉が上下する。小さく漏れたのは、「…おいしい」。
「ほんとですか! 良かったぁ!」
青根の言葉はごくごく小さいものだったけれど、破壊力は抜群だった。日向はぱぁっと明るくなって、どことなくほっとしたように息を吐いた。それから「二口さんも良かったら」と紙袋の向きを変えて傾ける。
「あーうん、どうも」
がさりと手を突っ込んで、一本を摘み上げる。手にはざらりとした感触、思ったよりべたつきは無かった。日向の言葉通り揚げたてなのだろう、さすがに熱々とはいえなかったが、まだ温かい。口を開いて、放り込む。
「ん、美味いな!」
予想以上だった。パンの耳を揚げたと言われて、なんとなく想像もしていたつもりだったが、そんな想像より断然美味しい。まさにカリカリに揚がっているパンの耳に、砂糖の甘さがちょうど良かった。ごくんと飲み込んだ傍から、「も一本、良い?」と手を伸ばしてしまう。
「良いですよ! てか、これはお二人に持ってきたので!」
「そーなんだ、いやありがとな。めっちゃ美味い」
二口の手に、日向は紙袋ごと揚げ耳パンを預けてきた。それもそうか。わざわざ一本ずつお裾分けをする気だったのなら、酔狂にも程がある。受け取った紙袋の中身を覗いて、まだまだ入っている揚げ耳パンを確かめながら、二口がもう一本。青根の方からも手が伸びた辺りで、日向は「じゃあ、俺はこれで」。
「え? 日向くん、食べてかねーの?」
「あっ俺、実はもう、休憩時間、全然なくて! 道宮さんに、ちょっとユーズーしてもらって出てきちゃったんですよね!」
「えっ?」
ユーズー。融通? 日向が、へへ、と少しきまり悪そうな表情でごまかすように笑った。だから俺、早めに戻らないと、と続いた言葉に、青根も二口も「あ、うん」なんて頷くことしか出来ない。日向は言うが早いか「じゃあ!」、ぺこりと軽く頭を下げて、背を向ける。
「えっ、あ、ありがと!」
とっさに口から飛び出たお礼、告げた二口の隣で、ぶんぶんと青根も首を縦に振っていた。ふふ、と小さく笑った日向が
「どういたしまして!」
と振り返り、来た時と同じようにぱたぱたと足取り軽く出ていった。程無くしてドルン、エンジンがかかる音。そしてそのまま、原付の排気音は遠ざかる。
「はー…すげぇな」
思わずぽつりとこぼした言葉に、青根が全力で首肯して見せた。二口の手の中に、まだ温かい紙袋が残っていた。