二口と日向がエンカウント
「そうなんですこないだからちょっと調子悪かったんですけどっ…! すみません!!」
通りに面した半開きのシャッターの向こうから、若い男の声がした。午前七時前。早い。別に俺は、いつもこの時間から出勤しているわけじゃない。今日は早めに届く荷物が在ったから居ただけだ。取り敢えず店舗に人が居ることを示すのと、早いけど準備するかということで、シャッターを半分ほど開けていた。
「あっはい、場所はもう店の近くなんで! 走ったらすぐの距離です! あっでも原付あって走れなくてっ…」
朝も早くから大変だな、と思いながら聞くともなしにその声を聞く。住宅の並びがちな地域だったが通り沿いはやはり店舗も多く、その上、この時間は通勤と思しき人間がちらほらと通りがかるくらいだ、否が応でも彼の声は気を引く。作業場にまとめてあるホースを取り出して水まきの準備をしつつ、でけー声で話してんな、なんて思った。思ったが、迷惑と騒ぐほどではない。一人分の声しか聞こえないし、恐らく電話中なのだろう。つーか、原付? 調子悪い、のは、原付なんだろうか?
「あ、はい、一時間はかからないです! 三十分くらいで…。ハイ! すみません、ありがとうございます! 失礼します!」
通話が終了したようだ。そして俺もホースを水道につなぎ終わって、ちょうど外へと引っ張り出すところだった。タイミングが良いような悪いような。まぁでも避けるようなことでもないし。半分開けていたシャッターをくぐって、ホースを持ったまま俺は外へ出た。
「わっ!」
「!」
持って出た先、思ったより、声の主が近かった。でかい声だなとは思っていたし、近くを通っているだろうとも思っていたけれど。驚いた彼に驚いて、一瞬硬直してしまった。彼の丸く見開かれた大きな瞳と目が合う。いやコイツ、目、でけぇな。
「あ、わっ、おはようございます! 早いですね!」
「えっ、あ、あぁ…おはようございます」
「あってか、うるさかったですか?! すいません! ひー朝から騒いじゃって…!」
「あ、いや…」
早ぇ。展開が早ぇよ。挨拶が大事なのも判るし、迷惑を掛けたかもと感じて直ぐ謝罪をするのも好感が持てる。いやしかし、朝イチからこの拡声器のような元気さはなんだ。まともに返せないまま、取り敢えず挨拶だけして俺は思わず視線を逸らす。逸らした先で、話題に上っていたものだろう原付を引いているのが目に入った。
「…それ、止まったの?」
「え、あっ、コイツですか?! そうなんですよ!」
ついと指差して尋ねてやると、途端に困ったように眉を下げて首を縦に振った。そして、堰を切ったように話し出す。
「ちょっと調子悪いなーとは思ってたんですけど、さっき信号で止まったら発進出来なくなっちゃって! でも放置するわけにもいかないし、仕事遅れちゃうんですけど取り敢えず引いてかなきゃって…」
訊いておいてなんだけど、軽々しく他人に話し過ぎじゃねぇ? いや人懐っこいと言うべきか。とにかく最終的にもはや全身で困りましたと雄弁に語る様子に、俺はつい、絆された。
「ふーん…直そうか?」
「えっ?!」
思わず口をついて出てきた言葉に、目の前のしょ…青年が、目を丸くする。いややっぱ少年かも。驚いた表情が、酷く幼い。
「直せるんですか?!」
「さっき止まったんだろ。じゃあまぁ、多分いける」
ぱっと表情を輝かせた彼に、多分だけど、と念を押しつつも頷いてやる。まぁアレですよ、「職業柄、それくらいは」。
「えっ、あ、あぁ! お兄さん、ここのひと?!」
「うそー…いまそういうこと言うんだー…」
じゃあお前、「近所の家から出てきたホース持った何故か作業着のおにいさん」と会話してたつもりだったのかよ。いやなんの認識もしてなかったのかもしれない。朝に出会ったから挨拶して、迷惑かけたかもと思って謝罪して、行きずりで会話…ってそれはそれですげぇけど。つーか、そうだコイツ。
「とにかくそれ、預かるから。バイト遅れそうなんじゃないの?」
さっき電話していたのは、そういうことだろう。こんな朝早くから遅れそうって、仕込みか何かか? と思ったから覚えている。断片的にしか聞こえなかったが、そんなような会話だった筈だ。俺が聞いてやると、彼はハッとした顔、慌てたように腕の時計を見た。
「いや、走れば間に合います!」
「おー、そりゃ何より。昼か帰りに来れる?」
「来れる! お願いします!」
若いと元気なのかな、と俺は思わず気圧されながら、勢い込んで答えた彼から、原付のハンドルを預かる。カギも差したままだし、このまま預かっても問題無いだろう。何を渋るでもなく、彼はすんなりと原付を手放した。
「じゃあ預かってメンテしとくから。早く行きな」
「わぁありがとうございます! 行ってきます!」
ぺこっと頭を下げて、にこっと笑って告げた彼に、思わず返す。
「あ、おう。いってらっしゃい」
俺の返答を聞いたのか聞いてないのか、彼はもう、走り出していた。早い。ぐんぐんと小さくなる背中。いってらっしゃい、なんて久々に言ったなぁとぼんやり思う。あ、つーか、しまった。
「名前きいてねー…」
まぁ良いか。きっとあんなヤツ、そうそう見間違わねぇし。俺はそう結論付けて、取り敢えず手放したホースを避けるようにして、彼の原付をシャッターの中へ運び入れた。
菅原とひなた
がちゃん、ばたん! どたたたた! 洋菓子店からするとは思えない音が菅原の背後で響いた。
「…え?」
こんな音を立てる心当たりは、非常事態じゃなければひとつしかない。いや非常事態の方が、もっと静かな気さえする。これは。
「すいません、遅れました! おはようございます!」
「あぁ、おはよ。いやそれより全然、遅くないけど…原付、大丈夫だったの?」
息せき切った様子で、予想に違わず日向が現れた。先程の音から推測するに、裏口から駆け込んで支度をして厨房に飛び出してきたのだろう。肩が上下に揺れていて、随分と走ってきたことを思わせる。
「大丈夫です! 預かってもらいました!」
「えっ、誰に?」
早速、戸棚から必要な道具を出したり大きな冷蔵庫から食材を出したりと、日課になっている作業の準備をしながら、日向が答える。しかしその答えは菅原の予想外で、ぎょっとして菅原は問い返した。それはそうだ。こんな朝早くから開いている店も無いだろうし、知り合いだって難しいだろう。菅原の訝しがる視線に、日向はけろっとした顔で、「大通りをずっと行ったところにバイクショップ在るじゃないですか」と言う。
「そこのお兄さんが『預かろうか?』って言ってくれたんで、お願いしてきました!」
「えっ?!」
菅原の手が思わず止まる。日向は気にせず、「俺、それ代わります!」とボウルに手を伸ばした。今日は日向が遅れるからと思ってやっていたが、確かにいつもは任せていた作業だ、菅原は取り敢えず伸ばされるまま日向にボウルを手渡した。いやしかし、そんなことより。次の作業に取り掛かるべき動きも止まって、思わず「いや、それ…」と眉を寄せてしまう。
「大丈夫なの、それ? 本当にバイクショップのひと? なんでそんな時間から開いてるの? 知り合い?」
「知らないひとです! けど、良いひとそうだったし大丈夫ですよ!」
「いやそんな…そういうの、日向の良いところだとは思うけど…」
日向のあっけらかんとした答えに、菅原は動揺を隠せない。必要な粉を用意して、次の作業に取り掛かり始めたものの、「でもね日向…」と困ったように言い募る。
「今時、日向みたいな良い子は、残念だけど珍しいのも現実なんだよ」
「いやぁ大丈夫ですよ! さっき会ったのは知らないひとですけど、あそこの整備士さん、俺、知ってるんで!」
「え?」
先程まで混ぜていたものを冷蔵庫に入れて、日向も次の作業に取り掛かる。今度はひたすら果物の下準備をするようで、包丁やバットも台の上に並べながら、「スガさん、判りますかねぇ」と呟いた。
「常連さんで、めっちゃ背の高いお兄さんいるじゃないですか」
「うーん…居るっけ…」
「眉ないし髪も銀色っぽいし、一見めっちゃ怖いんですけど、いっつもクッキー買ってくれるんです」
「クッキー」
「はい! あとシュークリームとか。偶に裏の公園とかで食べてたりもするみたいです」
「そうなんだ?」
「お昼がてら来た時は、ここでデザート買って、お弁当と一緒に持ってくって。今度、一緒に食べようと思ってるんですけど」
「へぇ」
どうやら日向は随分と、仲良くなっているらしい。花が咲く時期が良いですよねどうせなら、と楽しそうに笑いながら、てきぱきと手元の果物を準備している。しかし菅原はまだ浮かない顔だ。その人と仲が良いのは判ったけど…と渋りながら言葉を選ぶ。
「まぁ、日向が大丈夫っていうなら、大丈夫なのかもしれないけど…何か困ったら、必ず、俺に相談するんだよ?」
「はーい!」
菅原の心を知ってか知らずか、日向が元気良く返事をする。その姿に、こっそりと溜息を吐いて、菅原も改めて作業を再開した。
二口とひなたがエンカウント/テイク2
昼も随分と過ぎた頃だった。
「こんにちはー!」
「いらっしゃ…あ、今朝の!」
元気な声に釣られて発注のついでに眺めていたサイトから視線を外したら、戸口にひょっこりと今朝がた出会ったばかりの青年が顔を覗かせていた。俺は、びっくりした、と呟きながら立ち上がってカウンターから入り口に近付く。
「もうこんな時間だし、昼は来ないのかと思った」
「日向」
「?!」
そして辿り着く前に、恐らく彼の名前を、知った。整備スペースから戻ってきたらしい青根からその言葉が漏れたのだ。うそなに知り合い? つーか、お前が呟いちゃうほどのやつなの?
「あっ、青根さん!」
いやいやいやいや、お前こんな年下男子と、どこで知り合ったのよ? 驚いて二人を見比べてしまう俺をよそに、入り口に立っていた青年…恐らく「ひなた」が、ととと、と店内に入ってくる。それから青根をぐっと見上げて、「今朝、そっちのお兄さんにすげぇお世話になったんです!」と来店動機を説明した。うん、すげぇ身長差。いや「ひなた」くんが小さめなんだと思う。俺と並んでも、多分すげぇ身長差だ…じゃない、そうじゃなくて、それより。
「知り合いなの?」
「あっはい! よくウチの店に来てくれるんですよ!」
「え、そーなんだ?」
「はい!」
あんな時間に仕事だとか言ってたし、人懐っこかったし、てっきりこの通り沿いに出来た居酒屋でバイトしてるんだと思った。この店にもチラシが入ってきたから覚えている。チェーンではない少しおしゃれな感じに、場所柄なのか、ボリューム満点そうなランチもやっていると触れ込みされていた。でも、青根がよく行くということは、コンビニだったのだろう。微妙な時間に交代な気もするが、それはそのコンビニの問題だ。一人納得していると、青根がついと整備スペースの方を指差した。あぁ、そうだった。
「原付、メンテしてあるよ。ばっちり。ついてきな」
「マジすか! ありがとうございます!」
半分は外になっている整備スペースを指し示して、わぁと歓声を上げてついてくる彼を先導する。そこにつながる扉を開けて、その隅の壁際に置いてあった原付のところまで工具なんかを避けて歩いていった。
「そっち出すから、待ってな」
「はーい」
慣れない場所もどうかと思って掛けた俺の指示に素直に従って、彼は扉近くで立ち止まった。その様子を横目で確認しながら原付を押して運び、隣に立たせたところで、彼は「何が原因でした?」と俺を仰ぎ見るように首を傾げてきた。
「なんてこたぁ無いよ。オイルが足りなかっただけ。あとマフラーとか汚れてたから、ちょっと掃除しといた」
「オイル!」
「おう。買ってから結構経つ? ガソリンもだけど、オイルもちゃんと気にしてやらないと」
「へぇえ…!」
そういえば買った時に言われた気がします! と感心しきりという顔で頷きながら彼が言う。何だかんだ正当化したり言い訳したりする人間も多いのに、素直に頷けるのは凄いと思う。俺はちらりと彼を見てから、立たせたバイクのキーを回して、キックでエンジンをかける。ドルン。大型よりはもちろん軽い音なのだけれど、しかし心地良い低音が唸りを上げて、一定のリズムを刻む。わぁ、と、彼が嬉しそうな声を零した。俺は一旦エンジンを切って、セルで稼動するかも確認する。あぁ問題ない。隣からは、俺の動作と低音の合間に、おぉ、すっげぇ、と声が挟まれる。ふ、とつい小さく笑ってしまってから、俺はキーを戻した。
「多分、しばらくは大丈夫だと思う。まぁまた困ったら持って来いよ。つか、困ってなくてもメンテは定期的にした方が良いけど」
「了解です! 持ってきます! 」
ほい、とキーを差し出すと、両手で受け取った彼がありがとうございます! と朗らかに笑う。本当に、晴天のような青年だった。
二口とひなた
 「あ、そうだ! お兄さん…えっと、お兄さん、甘いの平気ですか?」
「うん言い直すくらいなら名前きけば良いんじゃねぇの?」
「あっ良いですか?! 俺、日向翔陽っていいます! お兄さんは?」
「すげぇなマジでイイコちゃんだな」
原付を表に回して、レジカウンターでオイルの代金だけ清算する。そのままもう帰るかと思いきや、そういえば、と彼…日向くんが切り出してきた。俺の名前を呼べずに戸惑って言い直した辺りが面白くて、律儀に自己紹介をした辺りは好感が持てる。俺は、暇なのも手伝って雑談に応じて名乗ってやった、「俺は、二口堅治だよ」。
「二口さんですね! あの、俺、せっかくだからスコーン持ってきたんですけど…平気ですか?」
「は? スコーン? …スコーン?」
よもやこの場で出てくる言葉とは思えなくて、俺はきちんと聞き取れたけれど思わず聞き直してしまった。そんな不審だろう態度も気にせずに、日向くんは「スコーンです! ウチのはわりと甘さ控えめだと思うんですけど…」と続ける。ウチの? スコーン? 甘さ控えめって、まぁ、アレだよなスナック菓子のスコーンとかじゃなくて、あのなんか味の無いぱさぱさの焼き菓子のスコーンだよな? いや別に、悪口じゃなくて。
「あ、もし甘い方が好きなら、ウチから少しはちみつも持ってきたんで、かけて食べられますよ」
「え、は? ウチから? はちみつ? えっなにそれ、マイはちみつってこと?」
畳みかけるように、つい言い募ってしまった。理解が追いつかない。家からスコーンを持ってくる男子にも動揺するのに、さらに、はちみつを持ち歩いているだと? いや、スコーンを食べるつもりでたまたま持っていたのか? 俺がぎょっとしてガン見してしまった視線で、動揺していることに気づいたのだろう。日向くんが、「あ、違いますよ!」と否定するようにひらひらと、手を横に振った。
「ウチって、俺の家じゃなくて、ウチの店です。俺の働いてる店」
「ちょっと響きがエロい。じゃなくて、え、日向くん、どこで働いてんの? コンビニじゃないの? 次点で居酒屋だったんだけど」
どうでも良い感想を挟みつつ疑問を重ねたら、向けられた日向くんは「なんでですか」と屈託無く笑ったあと、「俺、ケーキ屋で働いてるんです」と言った。…え、「ケーキ屋で働いてるんです」?
「え、じゃあなんでそんな早くバイト始まるの? 朝、七時前じゃなかった? あ、その道に進む的な感じなのか」
専門学校生とかそういうので、早朝の仕込みを手伝ってから学校とかあり得るな。一瞬、そう納得しかけた俺に、けれど向かいからは「んー…的な感じというか」と煮え切らないような、けれど、否定を始めそうな空気。思わずごくりと喉を鳴らして答えを待ってしまった俺に、日向くんは少しはにかむような困ったような顔をして告げる。
「俺、パティシエ見習いなんです。修行中!」
「え?」
「だからそれ、店にはまだ出せないヤツですけど、一応合格点は貰ったスコーンです!」
「えっ…いや、ちょ、うわマジか。すげぇな」
予想の斜め上だった答えに俺は動揺を隠せない。そういえば通りをずっと行ったところに、数年前にケーキショップが出来たのを思い出す。なんか有名なひとがパティシエをやっているとかで、一時期、テレビの取材なんかもよく見かけた。そうか、あそこのケーキ屋か。青根って甘いの、っつーか洋菓子、そんなに好きだったっけ? いやてか待って、そんなことより、パティシエ見習い、修行中、って――「ちょ、日向くん幾つ?!」。
「え? いやそれは二口さんに持ってきたヤツで…」
「お約束のボケは良いよ! 年齢だよ!」
「あー…よく聞かれます。俺、こう見えて二十五ですよ」
「俺の一個下?!」
よく聞かれますと苦笑するように眉を下げた日向くんは、自己申告するからには、こういう遣り取りにも慣れているのだろう。俺がぎょっと驚いてる前で、けらけらと「あ、そーなんですね! 先輩だぁ」なんて笑っている。マジか。
「あ。で、二口さんは、甘いもの平気ですか?」
気を取り直したように、日向く…さんは、俺に尋ねる。そうだった、そういう話題だった。紙袋に入っているから中は見えないけれど、それなりの数が入っているのだろう。青根のことも知っているようだったし、多めに入っているのかもしれない。
「あーはい、そうですね、平気です。頂きます」
「突然の敬語! あはは、思ったより俺、年いってました?」
「頑張って大学生、なんなら高校生かと」
「ひっで!」
差し出された紙袋を受け取りながら真顔で答えた。いや本当にそう思ったんだって。じゃなきゃあそこまで慣れ慣れしくはしねぇし。俺の内心を知ってか知らずか、日向くんは、「こっち、はちみつです」と弁当についてきそうな透明の容器をカウンターに置いて、俺の答えにふくれながらも嫌な顔せず笑っている。そりゃあ青根も通うわ。と思ってしまう。いやどれくらいの頻度かは知らないけど、あの無口な青根が名前を覚えられているくらいだ。会話らしい会話も少ないのかも知れないけれど、こうやってにこにこしてくれる日向くんとなら、ちゃんとコミュニケーションを取れているのだろうと安心すら覚えた。いやそれも通り越して、ちょっとだけ――「俺も今度、お店いってみても良い?」。
「二口さん、ちょっと響きがエロい」
「そのネタは蒸し返さなくて良いよ!」
「あはは。良いですよー、ぜひ来てください! スガさんのケーキ、ほんとに美味しいし! 俺もちょこっとずつ、店に出せる商品も作れるようになったんで!」
彼は、少し誇らしげに口角を上げた。きらきらと瞳が輝く。俺は正直、洋菓子の良し悪しとか修行の過程とか詳しくないし、彼が今どんなポジションに居て、どれくらい未来に展望を持てるのか知らないけれど。
「へぇ。じゃ、貢献しに行こっかなー。日向くんも、ウチにメンテ来てくれるしねぇ?」
「来ます! 俺、原付よく判んないし、二口さんが見てくれんの嬉しいっす!」
そんなの、青根でも誰でも見れるのに。俺は口を噤んでにこりと笑う。青根が休憩に出てて良かったとか、一瞬でも思ってしまったことに、自分でも驚きだ。
「ま、俺いなかったら、名指しで預けてくれりゃ良いから」
「はーい! あ、ウチはたいてい、俺いますよ!」
「そりゃあたのしみだ」
…本当に。

 そうして、昼休みが終わってしまうからと原付を回収して店を出て行った日向くんを見送って、カウンターに置きっ放しのスコーンの紙袋を開ける。そこには、ごつごつとした小振りのスコーン…あのなんか味の無いぱさぱさの焼き菓子(何度も言うが決して悪口ではない)、が、幾つか入っていた。ひとつつまんで、同じく置きっ放しだった容器からはちみつを垂らす。こんなシャレたおやつ、久々な気がする。あぐ、と大口を開けて、一回で半分ほどを口に収める。あぁ思ったよりもずっと――「美味しい」。