けんひな、リエ日?/鉄朗さんのオフィスで飴ちゃん作る話
 鈍く光る銀色の小振りの鍋の中に、日向がすっと細長い棒を突っ込んだ。
「わぁ! なにそれ、スゲー!」
「ちょっとリエーフ、うるさい」
「これですか? 温度計ですよ」
「お菓子って繊細だよなぁ」
言葉通り、日向の手元の棒にはデジタル表示の小さな窓がついていた。そんな些細な道具も物珍しいのか、普段はひっそりとした給湯室に元気いっぱい、楽しそうな声が響く。簡単な調理くらいなら出来るよう、ミニキッチンが備え付けられているそこは、一般的な給湯室よりは少し広めに作ってあった。けれど、成人男性が3人も4人も居るせいか、今日は随分と手狭に見える。普段は最もそこに出入りしているであろう赤葦が、溜息をつきながら給湯室を見遣って、肩を竦めて声を掛けた。
「わざわざ来てもらってるんですから、日向さんの邪魔、しないようにして下さいね」
「いやそんな、大丈夫ですよ!」
その声に、日向は手元の温度計をちらちらと確認しながら、赤葦の方…多目的ルームの方を向いて笑ってみせた。本来なら閉じていることの方が多い給湯室とそこを繋ぐ扉は開け放たれていて、今日の多目的ルームはさしずめダイニングといった感じだ。広くて使い易いだろ、とキッチンの延長のような様相を呈している。置いてある机や椅子を組み替えることで、応接室から休憩所、作業スペースなどへと形を変えるそこは、黒尾が拘ったと聞く。当の本人は給湯室で日向の作業に興味津々、粛々と冷静そうな顔をした赤葦が多目的ルームで何やら書類を作っているようで、この中のメンバーで唯一現在も仕事に向かっていた。
「日向、これ、いつまで待つの? めっちゃ沸騰してきた!」
「いま100℃なんで、もうちょいですね。155℃を目指します」
「凄いな、そんな細かいのか」
そんな赤葦を気にも留めず騒ぐ灰羽の言葉に、日向が温度計を見ながら答える。灰羽の指摘通りに、薄ら赤い色をした鍋の中身は、ぼこぼこと後から後から気泡が上がっていた。日向ごと後ろから鍋を覗き込んだ黒尾が感心したように呟いている。
「二人とも煩い。俺が呼んだのに。ねぇ翔陽、それ、結局なんの味なの?」
二人に辛辣な言葉とじとりとした視線を投げかけた孤爪は、不貞腐れるようにしながらも日向の隣をキープしていた。確かに今日の日向の訪問は孤爪が約束を取り付けたものだ。トラブルや不運が重なって、会社に缶詰め状態で三日目を迎えた孤爪が、耐えられないとばかりに日向を呼んだ。最初は畑違いのゲーム会社に行くなんてと躊躇していた日向だったが、菅原の「差し入れ作ってやるから、店のお使いだと思って行ってきたら」という言葉に甘えて、店番を道宮に任せた本日、特別にデリバリーサービスへとやってきたのだ。菅原特製のマフィンを手渡して、それから孤爪のたっての願いも在ってキッチンスペースで日向が菓子…と言ってもキャンディーなのだが、を、今まさに作っている。
「味はねー、もうちょっとだけ秘密!」
「えー」
「あ、もうすぐだ。研磨、ちょっと避けて」
「ん」
そうこうしている内に、日向の手元の鍋、温度計は155℃を示した。日向は孤爪に少し退くように指示すると、鍋の隣に用意していた水を張ったボウルに鍋を浸す。じゅわ、と水の蒸発する音がして、一気に白く水蒸気が上がった。
「すげぇ、実験みたい!」
「あんま覗き込むと暑いですよ」
歓声を上げて顔を近づける灰羽に、日向が笑う。普段、お菓子作りを見ることもないのだろう。もしかしたら料理自体、あまりしないのかもしれない。灰羽は、日向がやることなすことに逐一興味を持って随分と楽しそうだった。日向が、えっと、と鍋の柄を持ったまま腰を捻るようにしてきょろきょろと振り返ると、「あっ俺、それ持ってるよ!」と率先して支える役をかって出て、自然な仕草で交代した。
「あ、済みません」
「いーのいーの!」
「チビちゃん、これか?」
「あハイ、それです、そのタッパー」
灰羽と代わって振り返ると、思ったよりも近くに居た黒尾が、最初に日向がかばんから取り出していた小さな半透明の容器を手にしていた。ありがとうございますと礼を言って、掌に乗るようなサイズのそれを受け取り、日向は孤爪の方を向く。
「ふふ、研磨これだよ! キャンディーの味!」
「え? わ、すごい。手作り?」
「うん、乾燥いちごー!」
宝物を見せるようにぱかりと開けられた容器には、薄くスライスして乾燥させた苺が入っていた。数は多くないが、苺の形状と外側の赤、断面の白っぽい薄桃色を綺麗に残した美しいドライフルーツだった。ひとつ摘んで、研磨に差し出す。
「味見する? まぁ、そんなに味しないんだけど」
「する。ありがと」
差し出されたそれを手で受け取って、孤爪は表裏、まじまじと見つめる。乾燥させただけだよと笑う日向の頭上から、「すっげー! そんなんも作れるんだな!」という声が降ってきた。例によって例に漏れず、感動の多い灰羽の声だ。
「灰羽さんも食べますか? はい」
「ん!」
孤爪に向けたのと同じように、日向はひとつ摘んで灰羽へと差し出した。違ったのは、灰羽の反応だ。手で受けた孤爪とは対照的に、行儀悪く腰を折って、灰羽は口で受け取った。確かに鍋を支えていたせいで片手は塞がっていた…と言えなくはないのだけれど。後ろに居た黒尾が小さく「あ!」と漏らし、孤爪はぎゅっと眉を寄せたが、受け取った本人・灰羽は悪びれもせず美味しいともぐもぐしているし、日向の方も何も気にしていないようで「鍋、ありがとうございます」と灰羽と再び代わり、次の作業に移っている。苦々しい顔をした黒尾が、「それ固めるんだよな?」とさっさと記憶を消そうとでもするかのように、次の作業へ話題を変えた。
「そうです。そこの型に」
「型ってこれだよね」
今度は孤爪の方が、置いてあった白い板状の型を手にして日向に見せた。「そうそれ、そっち置いて」と日向は頷いて、紙コップの一角を尖らせた容器に鍋の中身を移し替えた。そっちと言われて、孤爪はそのまま、給湯室に備え付けられている机に型を置いて日向を待つ。ついでに一緒に在ったプラスチックだかアクリルだかで出来た細長い棒も、型にセットした。恐らく、型の形状から見ても、これは棒付きキャンディーにする気なのだろう。
「ありがと!」
机に振り返り、鍋を紙コップに持ち替えた日向が孤爪に礼を言う。それから、型へ順番にキャンディーの素を流し込んでいった。とろとろと少しだけ粘度を保ったままの薄赤い色をしたキャンディーの素が型の半分ほどまで入れられていく。おぉ、と目を輝かせて眺める灰羽に釣られるように、思わず黒尾や孤爪も、日向の作業を息を詰めるようにして見守ってしまう。
「で、このいちごを入れまーす」
箸とか忘れちゃって…行儀悪くて済みません、と軽く謝りながら、日向は摘んだ苺を流し込んだキャンディーの中央にぐっと少し埋めるようにして載せていく。型の上に5つ空いていた丸い窪みは、それぞれキャンディーと苺で埋まっていく。それから苺が定着するのを1分ほど待ってから、最後に再び順に残りのキャンディーの素を流し入れて、紙コップの中身を使い切った。

 「はぁ~…すっげー…!」
「なんか、判っちゃいたけど、本当に出来るもんなんだなぁって思うよな」
多目的ルームの方に移動した後、日向と孤爪、灰羽の3人で後片付けをして、赤葦がコーヒーを用意した。ちなみに黒尾は赤葦が作っていた書類に目を通して判を押す仕事が在ったようで「作成と同時にやってもらえれば効率良かったんですけどね」とちくり、赤葦に嫌味を言われながら机に向かっていた。それから黒尾の隣に書類を確認しながら赤葦、向かいに灰羽、日向を挟んで孤爪が座って、揃っての休憩が始まった。コーヒーのお供に菅原の差し入れたるマフィンを食べた後、ようやっと日向の作った棒付きキャンディーの型を外す時が来て、先の台詞だ。もちろん今しがた食べたマフィンだって、いやどんな料理もお菓子も、誰かが作っているのだと理解しているけれど、棒付きキャンディーなんて特に既製品の印象の方が強いこともあって、実際に目の前で行われると感動もひとしおだ。ぱこんと軽い音をさせて外し、手渡されたキャンディーを皆、まじまじと見詰めてしまう。
「ごめんね、俺なんて特に何もしてないのに」
「いやそんな。皆さんに作ったものですし」
最後に差し出された赤葦が申し訳なさそうに言うのを、日向が朗らかに首を振って受け取りを促す。全員に行き渡ったことを確認して、日向は手元に残ったラストひとつも型から外した。キレイ、美味しい、すごい、口々に褒めながら棒付きキャンディーを舐める姿は、多少の違和感が無くも無いが、童心に返ったようで微笑ましくも在る。日向はにこにこと緩やかな表情でそれを眺め、残っていたキャンディーの飴部分に四角いクリアパックを被せた。
「ん? 日向、食べないの?」
その仕草を目敏く見つけた灰羽が、声を掛ける。その問いにちらりと視線をやったものの、「あーハイ」と言ったきり日向は作業は止めず、クリアパックの口をワイヤータイで捩じって留める。そして「出来た!」。
「これは、木兎さんに置いておこうと思って」
「いや木兎さんになんて要らないよ。調子乗る」
「えっ、いやそんな…」
「そうだよ要らねーって。出てく時、『俺の代わりに食っといて』っつってたしさ」
「いやでもマフィンも在るし」
「マフィンも在るからこそ、別に良いでしょ。翔陽、せっかく作ったんだから食べなよ」
「研磨までそういうこと言う!」
流れるように全員に否定され、そんな…と眉を下げ始めた日向の隣、「あ、じゃあさ!」と灰羽が思いついたように声を上げた。
「それは木兎さんに置いといて、はい!」
「へ? ん!」
日向の手にしていたキャンディーを取り上げて代わりに、自分の舐めていたものを日向の口元に近付けた。反射的に開けてしまった日向の口に、さらに近づけて半ば強引に押し付ける。んぐ、と少しだけ勢いに仰け反った日向は、けれどパキリ、灰羽のキャンディーを半分ほど折って口の中に収めることになった。
「てめっ…」
「リエーフ…?!」
「ちょっと反省しようか」
がたりと立ち上がりかける黒尾に、普段から想像できないほど鋭く睨む孤爪。逆にニコリと微笑む赤葦は零度だ。灰羽はそんな視線を物ともせず、日向に「さっき、いちごもらったからなー! おすそわけ!」と朗らかに笑いかけた。
「おいしい」
ノリに気圧されて思わず呟いた日向に、「だろー! だって日向が作ったもんな!」なんて跳ねるように続けて、日向も日向で「んん? そうですね?」と首を傾げるものの同意してしまう。そのやり取りに、日向の逆隣りたる孤爪からは、毒気が抜かれたような盛大な溜息が吐き出された。
「…まぁ、翔陽が良いなら良いよ。…これ、すごく美味しい。翔陽、ありがと」
「あっううん! …研磨、元気出た?」
「うん、すっごく」
孤爪の返しに、良かった、と笑う日向――に向かって、「てか俺も翔陽って呼んで良い?!」と灰羽が尋ね、再び一悶着起こすのは、もう十数秒、あとの話だ。