ゆーは、変わった少女だった。

 本名はカシワギユウカ。名前だけ聞くと、結構可憐な少女。
周りからはゆうちゃん、と呼ばれていたけれど、
自分を僕と言うゆーにそれは似合わない気がして、俺はゆーと呼んでいた。
 そう。ゆーは、普通では、ない。
容姿は確かに普通で、俺が言うのも何だけど見た目は良い方だと思う。
けれど・・・一言で言えば、色の無い、少女なのだ。
色目の暗いものを好むとか、読書などの独りで出来ることを好むとか、そういう、孤独な傾向があった。


 そして最近、そのゆーが飛んだ。メグミのマンションの、屋上から。






      君向      - - - き み む こ う - - -






 「メグちゃん・・・ゆうちゃん・・・何で・・・!」
「や・・・っだ・・・ふたりとも何で死んじゃったのよ・・・!」
真っ黒い制服、いつも見慣れているはずの制服。今日は、まるで知らない黒に見える。
 「ハヤト・・・」
「ん? あぁ、何、タケル」
唐突に呼ばれた。いやきっと、唐突でもないのだろう。遠慮がちに苦笑するタケルが居る。
俺は、どれくらい立ち尽くしていたんだろうか。
「カシワギとハタの顔、見れるって」
「え? 良いの?」
「うん・・・別に良いらしいよ」
「そう。じゃあ行くよ」
「うん」
 俺が居たのは外だった。葬儀場の、簡単に造られた日本庭園の池の側。
開け放された扉から繋がる中に入ると、ちらちらざわざわと黒ばかり目立ち、
不在をまざまざと見せ付けられる。
・・・苦しい。
 「あっちだって。多分・・・今、女子が」
「ん」
メグミの友達だろう。まぁ、ゆーの顔も見てんだろうけれど、ゆーはあまり付き合いがなかったし。
 暗い廊下。何だかずっと続いてゆくような、眩暈のするような廊下。
そんな風に感じるのは俺の気持ちの問題なんだろうとは思うけど、でも、暗い。
「・・・ハヤト、落ち込むな、とは言えないけど・・・でも、気を落とすなよ」
「んーーー? 大丈夫だって、別に」
実際、自分がどう感じているのかよく判らない。
何となく悲しいのとか寂しいのとか、
そう言う感じの感情がぐちゃぐちゃとあるような気はするんだけど、いまいち整理がつかない。
何よりも、まず、“不在”の事実が・・・・・・俺の中に、消化されてない。
 長い廊下、長い白い椅子に座って、女子が出てくるのを待つ。すすり泣きが、聞こえる。
「ハタは、さぁ」
「ん?」
タケルが口を開いた。
俺を見るわけではなくて、何処か窓の外の景色を見つめて。さっきまで俺がいた、庭が見えてた。
「両親と旨くいってないらしかったじゃん。たまに腕にアザあったりとかさ」
「そうだな。あんま話さなかったけど、複雑そうだったな」
メグミ自身は、明るい子だった。
大きめのぬいぐるみを持ち歩いている、という少々幼い部分もあったけど、明るくて無邪気な感じがしてた。
実際に友達も多くて、女子の中で一番、ゆーと仲が良かったと思う。
だけど何となく、切なそうに痛そうに笑うことも、少なくなかったと、俺は感じている。
「でもさぁ、カシワギは・・・別に、そんなに問題あるわけでも・・・ないんだろ?」
暗に、何で死んだのか訊きたいのかもしれない。
俺に遠慮してメグミの話から始めてるけど、タケルとしては、よっぽどゆーの方が気になるんだろう。
「何か、判る? ・・・ぎゃ、逆に辛かったら御免。けど、整理すれば、少しは落ち着くかと、思って」
タケルは興味本位なんかじゃなくて、ゆーが云々じゃなくて、俺を、心配してくれるらしい。
俺が、後追い自殺をするかもしれないと、多分、考えて。
 「ゆーは・・・そういう奴だったんだよ」
「え?」
「大丈夫だよ、タケル。俺は、死なない」
「あ・・・・・」
な? と軽く笑って、それが旨く笑えていたのかは判らないけれど、とにかく軽く笑って。
俺自身、不安だった。
きっと言わなければ、言わなければ、どうなっているか・・・判らなくて。
 「っく・・・ひっく・・・」
「あ」
女子が、ちょうど出てきた。クラスの・・・ササキとマナベだ。それから もう少し出てくるようだ。
「終わったみたいだな。行くか」
「おう」
タケルの言葉で、俺は、腰を上げた。
俺とタケルの横をすり抜けていった女子は、皆一様に泣いていて、何だか滑稽にも見えた。


 「あ。ハヤトくん、タケルくん。来てくれたんだね」
「ユウキさん」
扉をゆっくりと押し開けると、薄暗い・・・まるで暗室のような部屋だった。
 二人は、棺に入っていた。まるで、テレビのワンシーンのように。
そして その傍にはゆーの兄のユウキさんがいて、うっすらと、儚げで柔らかい笑みを俺たちに向けた。
このユウキさんが、ゆーの唯一の身内だった。
ゆーの両親は海外に単身赴任? よく判らないけれど事情があって、
とにかく、ゆーと暮らしていたのは、ユウキさんだけだった。
最もメグミは、もっと悲惨な状況だったらしい。
本人は「何でもないよぉ」とケラケラ笑っていたらしいが、
父親とは死別、母親とは擦れ違いの生活だったと聞いた。
・・・ゆーのところに自殺しに来た、というのも、何となく頷ける気がする。
 「ハヤト」
「あ、おう」
軽くタケルに呼ばれて、俺は一歩踏み出した。
目の前には二つの棺、合同葬儀ということらしく、ゆーとメグミが並べられていた。
特有の白っぽい木製のような箱。人がこの中に入ってるなんて信じられなくて
「飛び降りにしては綺麗だよ。見てやってくれる?」
それでもこれが、現実で。

 「ゆー・・・・・・・・・」

 ぐんと迫る現実感。無理やり事実が俺の体を侵食し始める。

 「ゆー・・・・・・」
「・・・生きてれば、もっと楽しいことあったろうに」
「・・・そう、だね。確かにそうかもしれない。だけど」
「タケル、違うよ、それ」
「え?」
 死んでしまった、もう生き返りはしない、生きることはない、だけど、だけど、だけど。

 何時だか、ゆーが言っていた―――死ぬことは、不幸なことではない、と。



 「・・・では、次のニュースです」
その日 偶々、俺はゆーの家に来ていた。
そのリビングの二人掛けの割に広いソファに一人でゆったりと座る。
ゆーはキッチンでコーヒーと、飲めない俺の為に紅茶を淹れてくれて、俺はそれを受け取った。
「ありがとう」
「いや。・・・ニュース、珍しいな」
「ん、ほら・・・あの俳優が自殺したってヤツ、気になったからさ」
「あぁ、あれ」
暑い夏の日で、黒い喪服が酷く暑そうだ・・・と思ったのを覚えている。
有名な俳優が自宅で手首を斬って死んでいたそうで、朝からずっとそのニュースを流していた。
俺も何となく気になって、何となく新しい情報を得ようと見ていた。
・・・実際は何も関係ない人でしょう、というのは、ゆーの言。
 「ということで・・・
警察は自殺、他殺、両面から捜査中で・・・弔問には多くの・・・中には映画監督の・・・」
「ゆーは、どう思う?」
「どうって?」
ぼすっと無造作に俺の隣に座って、膝の上で雑誌を広げ始めていた。
傍らのガラス製のテーブルに、ブラックのアイスコーヒー、ストレートのアイスティー。
俺は後者に手を伸ばしながら、ゆーに尋ねた。
会話は、無いよりある方が良いと思うのは、俺の性格。
 「例えば、自殺か他殺か、とかさ。何でも良いんだって」
「物好きだな。
・・・別に僕が見た訳ではないから何とも言えないね。差し当たって思う事も無いかな」
「あー・・・何か『流石ゆー』て感じ。でもさぁ、自殺だったら・・・可哀相だよね」
「可哀相?」
ふと、ゆーが手を止めた。いつも見ている俺には判らない難しそうな雑誌から視線を外して。
俺はそれこそ珍しいなぁと思いながら、話を展開させることにする。
 「だってさ、何で死んだのか判んないけど・・・
きっともっと楽しいことがいっぱい在った筈だと思うな。
でもそういうの体験できずに死ぬことになるんだよ?
もし生きてれば、どんなに辛くたって何とかなる日が来ると思うし。
自殺なんて無駄死にだよ、勿体無い。命は計れないくらい高い価値があると思うよ」
力説してみる。俺の言葉は纏まらない拙いものだったけど、とにかくゆーに伝えたいことを話す。
ゆーは、ゆっくりと否定することなく、最後まで俺の話を聞いて・・・口を開いた。
「じゃあ、ハヤトは・・・自殺は無駄だって言いたいのか」
「え・・・うん」
「そう」
それから ゆーは、少し思案するように眼を逸らした。
俺の言葉と自分の言葉を整理するように沈黙した。
そうして沈黙した後に、ゆっくりと はっきりと、言葉を紡ぎだした。

 「・・・価値の無い生が無いのなら、価値の無い死も無いと思う」

 俺にとって、とても大きくて酷く、強かった。
実際、ゆーの言葉がすぐに理解できたわけではないし、寧ろ意味なんて よく判らなかった。
それでも何か・・・
「価値の無い死? ってことは・・・自殺に意味があったってことか?」
重いような気がしたんだ。何か、
「まぁ、そんなとこ」
重いような気が。



 そして、俺たちの時は現在に至る。

 やっぱり ゆーは生きているわけでは無いし、生き返るわけが無い。
ゆーの言葉の多くは判らなかった。最も、そういうところに惹かれたっていうのもある。
よって俺は、ゆーの言葉の多くを憶えておこうと思ったし、一生懸命留めておこうと思った。

 だからこそ、ゆー、今なら俺、少しだけかもしれないけど、判る気がするんだ。


 『価値の無い生が無いのなら、価値の無い死も無い』


 ゆーの死は、ゆーの存在は。酷く、酷く酷く、大きかったんだ。



 ―――今、たった今、判った気がする。






 「・・・ト、ハヤト?」
「っ、は?あ・・・御免、何?」
「大丈夫かよ、ぼーっとして」
・・・どうやら俺は、どっかから自分の世界に浸りこんじまってたらしい。
心配そうに覗き込むタケルとユウキさんが見えた。そして変わらない、ゆー。
 「ハヤトくん・・・大丈夫?」
「ユウキさん、メグミは・・・良かったと思います。
少なくともメグミ自身にとって、ゆーは、大きかったと思うんです」
「ハヤト・・・御前・・・」
なぁ、メグミ、そうだよな。だから御前は、誰でもない ゆーを選んで、ゆーと飛んだんだよな。
 ゆーとメグミの棺の扉を、ゆっくりと閉める。今はただ、メグミがゆっくりと休んでることを祈る。
そして ゆーが、俺にとっても大きかったことを、想う。
「ゆー・・・好きだよ・・・」










 願わくば、俺が、

 ゆーにとっても小さくなかったことを、祈る。