曇りと主張するには小雨がちで、雨としてしまうには癪な、そんな天気の日だった。






オゥバー年ヴァスティーユ






 たりぃ・・・と、本日何十度目かの盛大な溜息。
腕の時計は残り二分くらい。前方壁の時計は・・・オイオイ十分前って遅れ過ぎだろ。
其の事実に、何だかもう一度溜息を吐いて、寝直すわけにもいかずぼんやり。
一番窓際の席列からひとつ隣、其の最後方から外を見つめる。
 曇りだけれど、雨にはならない。雨の降りそうも無い白い曇り。
時々思い出したようにぱらついている雫しか視界に入らない。
授業が終わっていないから、外には歩く姿も無い。あぁ暇だ、またしても溜息を吐こうとし。
「じゃあ、これで終わります」
「!」
予定よりは少しだけ早く、教員は終了を告げて出ていった。
途端、堰を切ったように溢れ出す雑音。
授業中も、静かとは言い難いざわつきが在ったけれど、其の比ではない。嗚呼。
 「今日は、帰りは担任が来ない筈だね」
「え? あ、うん、そうだよ」
傍に居たクラスメイトの誰かに何となく確認、そして確信。
「そう、ありがとう」と軽く礼を言って、朝に掛けたきり殆ど動かしていない鞄を手に取った。
閉ざされてゆくのだ、最後のパーツで。徐々に、シャットダウンの準備が始まる。



 「――――――・・・あぁ」
言うなれば、当然のような諦めを含んだ感嘆文。
飽くまで自分の価値観に於いての話では在るらめども、ども。
彼は美しい、自分は彼を見間違えない。
下駄箱、土間を出た辺り、
生徒が帰るには未だ少し早いが故に、彼と自分の間に人は居ない、数メートル。
百八十は在る高い身長に肩の在るしっかりしたシルエット、
決して小さめ細身の学ランを着ているというわけではないのに、すらりとしている。
多少特徴的に跳ねた長髪は、ぱらついた雨を避ける傘に隠されていた。
あぁわざわざ傘を差すのだなとぼーーっと眺めてしまう。
まぁ後姿だし、前を歩いているわけだし、不可抗力不可抗力、其処まで失礼な話ではない筈だ、と。
 「?」
不意に、校門の前で彼が立ち止まった。
何を躊躇するのだろう、と自分も距離を保った侭で歩みを止める。そう不用意に詰めてはいけない。
感じていなかった小さな雫は、密やかに身体を撫でていく。
・・・どうやら、校門が未だ閉まっているようだった。
尤も其れも当たり前だ、生徒が帰るには早過ぎる、想定外の時間なのだ。
開けに来る教員の姿も辺りには見えない。
まさかヘアピンで鍵開け、なんて事は遣り辛いだろうし、彼は如何する気なのだろう。
半ば錆付いた南京錠をちらりと触る、けれど、開く筈も無い。
「あ」
白い空に、大きめの傘が飛んだ。
 がつ、と音がして、門の向こうの地面に落ちる。
彼の茶色がかった長髪が顕わになって、暫く雨に濡れる事になった、ああそうか彼は屹度。
最高峰に手を掛けて、が、がん、と鈍いけれど軽い音をさせた。
其れこそあっという間に、長い足は中段、上段を捉えて、ひらり。たすん。
やりやがったよああもう、もう、流石だ。
長い体躯を綺麗に跳ばして、ほんのり黒い学ランを翻す。
遠く霞む白くぼんやりとした景色に、決して融けたりしない、染まらぬ黒が出て行った。
ゆっくりと向こう、傘を拾い上げる。悠然とした仕草、そして彼は淀む事の無い歩みを再開する。
黒は、遠くなる。
 「お、済まんな。今、開けるから」
「あぁ・・・どうも」
後ろから小走りでやってきた教員に、軽く会釈。
其の教員の手の中、ガチャンと解放の音がして、校門は放たれた。
「気をつけて帰れよ」
「さようなら」
彼は、もう居ない。何処かの角で曲がったのだろう。
彼の背に翼が無い事は知っている、けれど、彼の手足に枷が無い事も、知っている。

 オゥバー、三年のヴァスティーユ、全てを壊す一瞬に、僕は焦がれていた。