鈍く光る刃は、僕を映していた。

 鈍く光る闇月は、僕を愛していた。

 嗚呼 鏡の向こうに、浅い夢を見ている――――――。






      深 夜 の 宴   ―――壱






 キチ キチ キチ キチ ・・・
硬い音がして、暗く沈んだ部屋に、薄く銀・・・というか、灰が光った。

 「は、はは・・・」
僕の声は小さかったのに、酷く大きく響いた気がした。

 窓が開いている。軽く遮光のカーテンがなびく。
晴れている空ではなかったけれど、全て曇っているわけではない。
雲の切れ間に、更に高い位置の雲と、闇に霞む月が漂っている。
部屋に微かな光、置いてある姿見が滑らかに白くなっていた。

 プッ・・・

 小さな、ごく小さな音がして、肌が裂けてゆく。
細い線が引かれていって、そしてピンクのような赤のような色が滲んでゆく。

 「は、は・・・」

 痛覚は、無い。いや正確には―――判ら、ない。

 痛いとは思うし、痛いのだろうという予測はついている。
何本も何本も、ほぼ平行に、引いてゆく。
けれど何も、思わないのだ。痛いという言葉だけで、フィルターがかかったような、痛覚。
だんだんと赤が広がって、盛り上がり、すぅと手首の丸みと重力に従って落ちてゆく。

 血が、流れている。

 別段 死にたかったわけではない。死を見越しているわけではなかった。
唯、無気力で。空虚で。虚無に支配されてゆくのだ。
感情も生命力も、何もかも削がれてゆくような、殺がれたような感覚。
無、と言うに、近いのだろうか。

 血が、流れている。

 ゆっくりと、けれど確実に、命が流れてゆく。
紅く情熱と生命と、凡そ『生』というもの全てが溶け込んだ其れが、流れてゆくのだ。

 ―――何が、痛み。
此の肌が裂けてゆく事か。それとも、死に向かえはしない事か。
或いは、痛みを感じない事、其れこそが、在るべき痛み・・・?

 「いたい、なぁ」

 気付くと姿見に、己の姿が映っていた。
背後に窓を、右手にカッター。眼を凝らせば、左は色付いている。
嗚呼けれど其の表情は、よくは見えない。
何故。・・・何故。
こんなに近いのに。こんなに。こんなに―――・・・手を伸ばせば、届きそうであるのに。

 「いたい、なぁ」

 唇が歪む。頬がヒクリと痙攣した気がした。
其の姿見に映る僕は、余りにぼやけていて、何も見えない気がした。

 ・・・・・・『いたい』?

 空虚な言葉が空回る。
嘘臭い言葉、意味も無い、中身も無い、音だけが漏れてゆく。

 「は、はは、はは・・・!」

 何も、見えやしない。何も何も何も。
左の赤も、右の灰も。顔面の筋肉は、知らない動きをしている。

 鏡に薄暗い月光が映りこんでゆく。僕の身体は暗く包まれていく。
いっそ、いっそ笑える。笑える。
こんなに近いのに、映るものは何も無い。何も、此処には無い。

 此処には、無い。

 ――――――無い。



 「はは・・・は、はは・・・ははっ・・・!」



 真暗な闇夜の、深夜の宴。



 キチ キチ キチ キチ ・・・



 嗚呼、今日も聞こえる。