彼を愛しいなどと、そんなこと、思ったことが無かった。

 それはただ、憧れにも似た響きを持っていて、その響きになぞらえて、

 僕は、唄っていたのだ。

 此の世で生くには、重く苦しい唄たちを。






      I      ――― イ ―――






 僕の存在は噂好きの彼女達の、恰好の的だった。

 何時だって色恋に飢えて、新しいと呼ばれる何かを探す、彼女達。

 そんなところが馴染めなくて、僕はただ、わらっていた。

 嘘を吐くことも にこやかに笑うことも、そこにあるものは いとも簡単で、穏やかなものだった。

 適当に話を合わせて、頷いて、時には受けて、その繰り返しで充分だった。

 けれど僕は、彼に、出逢ってしまったのだ。





 彼は素っ気無い。それが生来のものであるか否かは判断しかねるが、とかく淡白だ。

 必要以上に他人と交わろうとしないし、深く親交するのは ごく一部のようだった。

 僕にも当然 さしたる感情を向けているわけでなく、それどころか良くはないものを抱いているだろう。

 けれど僕は、それも厭わない。人は是を自己中心的と、言いはやすのだろうけれど。

 彼は、美しかったのだ。

 外見も内面も、僕が知り得たことは ほんの少しだけしかないが、その無知を差し引いても、それは余りある。

 彼という存在が、滲む何かが、僕にとっては美しくて仕方なかったのだ。

 僕には、無かった。





 例えば彼は、サボるということを簡単にやってのける人物のようだった。

 僕も、そして僕と話をする少数の少女も、殆どが口に出すだけだったのに、彼は行動する。

 宿題をしないとか勉強をしないとか、そんなことは出来る。

 けれど目に見えて まざまざと不在を主張する勇気は、僕には無い。





 例えば彼は、非常に飄々とした部分があるようだった。

 結局 僕は、誰にでも それなりの対応をしてしまう。幾ら嫌う教師だろうと、笑う。

 幾らでも対応はある筈なのに、取り敢えず抱え込むという、最も接触の少ないことを選ぶ。

 態度を変えないなんて強い真似、僕には出来ない。





 例えば彼は、他人と馴れ合うことは少ないようだ。

 例えば彼は、独りを厭う様子は少ない。

 例えば彼は、自身を嫌う風は、あまり無い。





 彼の結果は彼のもので、彼は 彼自身が其処に存在することを知っている。





 僕の、風。





 愛しいなんて思ったことはない。目まぐるしい程の時の変化は、真実を置き去りにする。

 ある種の憧れで、ある種の目標で、ある種の・・・ 方向なのだ。

 きっと交わることは無い。風が留まることは無い。

 そして同じ風は、二度と再び、吹くことは無い。





 だから僕は唄うのだ。風を忘れぬよう、唄い続けるのだ。

 たとえ、此の唄が空に上がれぬ重い唄でも、喉を嗄らすような苦しい唄でも。






 彼は風、美しい風。





 嗚呼 彼は、美しい ――――――。